松本隆は日本のロックを非政治化したか

id:yskszkさんの日記のコメント欄で、「現代のロックにおける政治性の希薄さ」の原因を松本隆に求める意見があった(d:id:yskszk:20040712)。これはこれで、はっぴいえんどの影響力を過大評価しているように思われる。
はっぴいえんど活動時のわずか3年間、そしてプロデューサーとして傑作をものしたほんの一瞬、松本隆アンダーグラウンドのヒーローだったかもしれない。だがその後、歌謡曲作詞家に転身してからというもの、70年代を通して松本へのロック側からの評価は「裏切者」でしかなかった。80年代に入り、松本が作詞家としてブレイクし、大滝詠一細野晴臣との共同作業を復活させた時期、伝説のはっぴいえんどの存在は改めて注目されるところとなったが、それも「80年代のロックシーン」とどれほどの関わりがあったかは疑問だ。松本隆はあくまでも「歌謡界のヒットメイカー」だったのだ。その勢いも映画『微熱少年』で失敗してからは失速し、80年代後半のバンドブーム以後訪れる「J-POPの時代」において、松本のみならず細野・大滝らはっぴいえんど組の存在感は限り無く薄い。
90年代以後、いわゆる「渋谷系」によってはっぴいえんどは再発見され神格化されていくのだが、松本は活動を縮小し、大滝は沈黙し、細野はアンビエントの海を漂っていた。ティンパンアレーの再評価のただ中にあっても、再結成が実現したのはムーヴメントが沈静化してからだ(これには諸事情があったのではあろうが)。
はっぴいえんどは「渋谷系」とこの時期距離を保ちつづけていた。
松本隆の功績を一つ挙げるなら、それは歌謡曲における恋愛描写に、阿久悠のような戦後世代のロマンではなく、少女漫画的な具体性を与えたことではないかと思っている。松本が『別冊少女コミック』を読んでいたのは確実だと思うが、おとめちっく路線全盛期の『りぼん』を読んでいたかどうかは是非知りたいところだ。
それにしたところで、歌謡曲/ニューミュージックのカテゴリーの話であり、「ロック」に影響力があったとは思えないのである。
現代のロックに政治性が希薄だとすれば、それは「なぜ映画は」「文学は」「漫画は」「アニメは」政治について語らないか、という問題とパラレルに存在するのであって、日本のロックに特殊な事情があったわけではないのではないか。
松本隆について言えば、湯浅学の「いつの時代にあっても結局“今様”になり切れない男の子と女の子がいる」というのが最も適確な評言ではあるまいか。