『リズム&ドラム・マガジン』10月号

林立夫ロングインタビュー目当てに購入。*1林がセッションに参加した名曲名演を集めた編集盤『Non Vintage』発売を記念したもので、ティンパンアレーをはじめとする活動歴や音楽観に深く踏み込んでおり、また『Non Vintage』全収録曲について本人のコメントと(専門誌らしく)譜例が付されている。林立夫のまとまったインタビューが読める機会などそう多くはないのでそれだけでも貴重だが、個人的にとても印象に残ったのは、林が率いた二つのバンド「パラシュート」と「ARAGON」について触れた発言だ。
とりわけ、パラシュートが海外発売を目的にLAで録音したラストアルバム『SYLVIA』(82年)に関する以下の発言に驚かされた。

結局ロサンジェルスで3ヶ月くらいかけてアルバムを1枚作ったんですけど、僕は、出来上がりを聴いて、ハッキリ辞める決断をしたんです。なぜかというと、“スーナーズ”だったんですよ。(略)もし僕がいちファンで、このアルバムを買ったとしたら、なんてつまらないバンドだろう、っていうバンドに思えたんです。もう、そこらへんに吐いて(ママ)捨てるほどいるようなバンド。それが自分達だったってことを突きつけられたときに、もう愕然として……。

デ・スーナーズというのは、60年代末に東京のジャズ喫茶で活動したフィリピン出身の洋楽コピーバンドで、そのテクニックに当時のGSのミュージシャンは大きく影響された。「そういうGSの人達が作ったのは、残念ながら“カバーの文化”でした」と語り、オリジナルを目指したはっぴいえんど系に与した林立夫だけに、欧米リリースに「大興奮」して臨んだオリジナルが「スーナーズ」でしかなかったと知った落胆は察して余りある。実は私も『SYLVIA』を聴いて、林とまったく同じ感想を抱いたものだから、その自己省察の確かさ厳しさに感嘆せざるをえない。
この挫折から真に独創的な音楽を目指して結成されたのがARAGONだが、それについても林の反省は恬淡としつつも苦い。

そのときのテーマというのは、“今までに見たことも聴いたこともない音楽”。でも、そんなことは“できない”ってことに気づくのに3年もかかったんですよ(笑)。考えてみたら、いろんな影響を断ち切って何かを作るってことは、そもそも無理なことなんですよね。

このように語る林立夫という人の人間性もまた興味深いのだが、ともあれARAGON解散後ほどなくして林は音楽界から10年間離れてしまう。思えばこの時期、大滝詠一はもとよりムーンライダーズも活動を休止、細野晴臣アンビエントに傾倒と、日本の音楽界が何らかのシフトを迎えていたのだろう。打ち込みとサンプリングとバンドブームを前に、スタジオミュージシャンの時代は終わっていた。
このような沈黙の時期を経て戻ってきた林立夫は、だから音楽家であるよりも先に、まずひとりの音楽愛好家であることが活動の動機となっているのだろう。

僕は、映像とか色とか香りとか、そういうものが感じられるような音楽を演奏しているのが一番好きなんですよ。だからメロディか、詩か、ソロをとってる人の中にある“ドラマ性”とか色彩感がないと、僕は演奏できないんです。自立してないんですよ(笑)

こんなふうに音楽を捉えられる人だから、林立夫のドラムは魅力的なのだ。そこには歌い手の最も近くに寄り添って、手をとり歩む頼もしい姿がある。『Non Vintage』収録曲のほとんどは何度となく聴いたものばかりだが、ドラマーという「スーツの裏地」に凝ったこのコンピレーションを聴けば、また新たな発見や感動があるに違いない。
ところで、ブレッド&バター「ザ・ラストレター」のドラムが林と知っていささかショック。79年という年代と、高橋幸宏作詞・細野晴臣作曲ということから、高橋幸宏ドラムだとばかり疑いもしなかった。「幸宏もこんな演奏できるのか」とか思いつつ……。同じ79年の松任谷由実『OLIVE』に細野晴臣がベースで参加しているように、ティンパン期とYMO期とは截然と分けられるものでもないのだろう。

*1:それにしても表紙と特集が芳垣安洋、インタビューが坂田学外山明と、何か風向きが変わってきたのだろうか。