岡林信康『1973 PM9:00→1974 AM3:00』(74年)

岡林の、あるいは日本のロックの隠れた傑作ライヴ盤が紙ジャケリマスターで初のCD化。以前、知人から音を聴かせてもらって書いた感想を一部改稿して再掲する(手抜きともいう)。
http://www7.ocn.ne.jp/~marron/diary0111-12.html#011220
http://www7.ocn.ne.jp/~marron/diary0111-12.html#011221


【I see my light 感謝やねん】
「私たちの望むものは」(70年)でフォーク界の頂点を極めた後、自らカリスマの座を降り農村暮らしを始めた岡林信康。 本作は傑作『金色のライオン』が発表された年の大晦日から元日にかけ、タイトル通りならなんと6時間にわたって行われたコンサートをアナログ盤2枚組に編集したものだ。収録曲は『俺らいちぬけた』(71年)、『金色のライオン』(73年)からのものが大部分を占める。 いわば「人間宣言」以降の岡林の近況報告的な内容とも言え、 虚飾のない自画像を優しく穏やかな声で、 あるいはかつてのカリスマ振りを戯画化するように歌ってみせる。 唯一『見るまえに跳べ』(70年)から選曲された「自由への長い旅」が、 かつての熱さが嘘のように凪いでいることからも、 当時の岡林の心境が伺える。
バックを勤めるのは『金色のライオン』のプロデューサーでもあるドラムの松本隆を中心に、ベース細野晴臣、ギター伊藤銀次、オルガン矢野誠、 ピアノ鈴木慶一、という錚々たるメンバー。 細野以外は『金色のライオン』のレコーディングメンバーとは言え、 矢野誠の珍しいライヴパフォーマンスや、 はっぴいえんど解散後、数少ない松本・細野の共演が聴けるという意味でも、大変に貴重なアルバムである。

それにしても、ここに参加したミュージシャンの非凡さは凄まじい (伊藤銀次鈴木慶一は、役割を無難にこなしているといった印象だが)。とりわけ矢野誠のオルガンは、単なるバッキングにとどまらない自在なフレーズを絡ませ、ガース・ハドソンにも負けない存在感をみせる。 細野晴臣のベースは、曲の進行を把握する時間がなかったのか、ミスも目立つがその分いつになくワイルドだ。『金色のライオン』での後藤次利による入魂のフレーズを一つもなぞろうとしないのはさすが細野、としか言いようがない。 そして、松本隆のドラム。 はっぴい時代より音数を減らしタイトさを増しているものの、 後半になって演奏の速度と熱量が増大するなかでのエモーションの奔流のようなドラミングは、 林立夫にも高橋幸宏にもない、松本隆だけの個性だ。 R&B風「家は出たけれど」、レゲエ風「見捨てられたサラブレッド」の演奏からは、はっぴいえんど以後の松本・細野の進化が感じられる。 そして、どんなに編曲が変化しても自分の歌を歌い切ってしまう、岡林の柔軟な表現力もそこでは際立っている。
かつて岡林とはっぴいえんどは、ボブ・ディランザ・バンドに擬せられたりもしたが、 このライヴでは編成的にも音楽的にも、よりザ・バンドのイメージに近づいている。 なにせアンコールでは「アイ・シャル・ビー・リリースト」を演ってしまうのだ(中山容による日本語詞。「男らしいってわかるかい」ではない)。岡林は感極まって泣いている。 思うにこの瞬間、岡林信康の「ディランになりたい」という夢は、 成就してしまったのではないか。 ここで「気が済んだ」岡林は、この後演歌、AOR、ニューウエーヴ、エンヤトットまで緩やかな音楽遍歴をたどることになるのだから。 このアルバムが今だにCD化されないのは、これが岡林にとって一つの「終わりの記録」以上のものではないからかもしれない。
―このアルバムをお聴かせいただいたwestさんに感謝― (01.12.20)


上で書いた岡林ライヴの項に追加。 松本隆は『微熱少年』(ブロンズ社、75年)で、次のように書いている。

岡林信康と演る時はまさに、自分の肉体がドラム化し、 ドラムが肉体化するところで音をぶつけられるので最高の快楽を得ることができるのだ。(中略)ぼくが今まで一緒に演った歌手たちのなかで、 こんな状態をつくりだしてくれたのは残念ながら岡林ただ一人だった。 だから本当は彼以外の人間ドラムという楽器を挟んで向きあっても仕方のないことなのである。(肉体がリズムにとける)

73年暮の岡林コンサートで、ドラマー松本隆も気が済んでしまったのではないか。 実際『金色のライオン』『1973 PM9:00→1974 AM3:00』で、 松本のドラミングは頂点に達しているのだから。

それにしても、今さらアンコールで「『私たちの望むものは』やれ」とは…。 ファンとは無邪気で残酷なものだなあ(自戒を込めて)。(01.12.21)


いやー昔の自分の日記って面白いなー。それはさておき、このリマスターで演奏のディテールはより明確になり、ボトムの音圧も向上している。松本・細野・矢野の演奏はやはり凄まじいが、銀次のギターの米南部色を匂わせるさりげない主張にも気づかされた。慶一ピアノは……頑張ってたと思う。うん。