ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2005 第1日

2005年9月3日 狭山市稲荷山公園 開演:12:00

70年代初頭、幻のアメリカへの憧れを抱いて狭山の米軍ハウスへ移り住んだ、一群のミュージシャンたちがいた。夢のカントリー・ライフのなかで彼らが育んだ音楽は、その後の日本のポップ・ミュージックの源流のひとつとなった。
彼ら、細野晴臣小坂忠といったミュージシャンを再び狭山の地に招き、幻のアメリカとの対峙によって生まれた日本のロックに改めて出会い、過去と現在、そして未来を結ぶこと。それがこのフェスティバルの主旨だろう。何より、細野晴臣がこの地で生んだ名盤『HOSONO HOUSE』(73年)を再演するというスペシャルな瞬間を目撃しないわけにはいかないと、家から西武線でわずか40分の伝説の地へと赴いたのだが。そこには伝説と同時に、語られた伝説とは別のリアリティがあった。


正午の開演と同時に登場したのは、地元の米軍ハウスに今も暮らすというヤマザキヤマト。ビリンバウやパンデイロ、スティールドラムなどを叩きながら、地霊と交信するかのように歌うその姿は、狭山という土地のディープさを思わせたが、現在のヒッピーは元ヒッピーたちを前にやや滑っているようにも見えた。


地元ミュージシャンによる露払いを終えて登場するのは、大阪からやってきたラリーパパ&カーネギーママ。初めて観る彼らのライヴはフェスの楽しみの一つだったのだが、スワンプ風の楽曲では今一つ演奏にファンキーな切れが足りない。各楽器のコンビネーションがややちぐはぐに思えるのは、ドラマーの交代によるところが大きいのだろう。逆に新ドラマー加入後の新曲では、どっしりと重いドラミングのキャラクターを生かしていて違和感がない。その意味で新生ラリーパパはまだ発展途上なのだろう。辻凡人ドラムのライヴを聴いておきたかったという思いも残るが、いつか単独のライヴに足を運びたい。


続いてはギター3本によるアンサンブルとコーラスワークを聴かせるテキーラ・サンセット。そのオーリアンズを思わせる爽やかなハーモニーを後目に、私は席を離れ売店のあたりをうろついていたのだった。申し訳ないが、遠くから聞こえるギターの響きを浴びながら草の上を歩くのも野外フェスの醍醐味。


フェスの実行委員長であり、トムス・キャビンを率いるプロモーターでもある麻田浩が、バンドMUDDY GREEVESを率いて本来のカントリー歌手として登場。彼らが奏でるウェスタン・スゥイングというのは良く知らないジャンルだけれど、カントリーとジャズの接点に生まれた南部音楽といえばいいだろうか。フィドルやペダルスティールをフィーチャーしてグルーヴィーに弾む手練の演奏は文句なしに楽しく、麻田浩の明瞭な発声の背筋が伸びた歌声も男らしい。そしてゲストにトミ藤山が登場。進駐軍の基地で歌っていたという彼女は、むろんかなりのお歳でもあるのだが、そのテレキャスターをバキバキ唸らせるカントリーの早弾きに思わずどよめきが起こる。さらに、ハスキーな高音を張り上げる豊かな歌声にまたどよめき、大歓声。まさに日本のポップスがアメリカとの対峙から生まれてきたことを実感させる瞬間だった。


続いて斎藤誠エレキギター一本抱えてステージに上がる。どことなくAOR志向の音楽を想像していたのだが、ギターを軋ませながら歌われるその音楽は、豪放さを備えつつも意外にシンガーソングライター的な内省も感じさせた。短いセットの後に登場したのはなんと森山良子。曲は「ざわわ」か、よもや「この広い野原いっぱい」ではあるまい、などと高を括っていたら、松田幸一のハーモニカを伴い歌い出した「SUMMER TIME」は、本格的なジャズ・ブルース。こういう歌手になっていたとは知らなかった。手回しオルゴールを伴奏に歌う「星に願いを」もまた、幻のアメリカへの憧れを蘇らせる選曲だ。それらがヒット曲「涙そうそう」と同一線に並べられて違和感を感じさせないあたり、自らの活動への自負を感じさせるパフォーマンスだった。
森山の後を引き取り、湘南からブレッド&バターが登場。まさかアコギ1本で「ピンク・シャドウ」が聴けるとは! その声は少年のように甘く清々しい。海岸を裸足で歩けるようにするための美化運動を湘南のみならず各地で繰り広げているというブレバタのメッセージは届いただろうか。
最後は斎藤・森山・ブレバタがぶっつけで声を会わせる「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIEND」。アメリカでこそないが、ここにも洋楽が共通の基盤だった時代の名残りがある。


名古屋のセンチメンタル・シティ・ロマンスは、70年代から活動を続ける超ベテラン。はっぴいえんどとも縁のあったギターの告井延隆は、入間の米軍ハウスに住んでいたという。2本のギターがタイトに絡み合い、ベースとドラムが磐石のリズムを刻む上で、コーラスが美しく重なり合う姿は、ウエストコースト・ロックへの憧れを高度に血肉化した唯一無二のものだ。さらに、かつてカバー集も出したことのある、はっぴいえんど「はいからはくち」の演奏に会場は熱狂。これがノスタルジーに終わらないのも彼らの持続する活動の賜物だろう。


そして、本日のクライマックスのひとつでもある、鈴木茂がついに登場。1発目の「スノー・エキスプレス」で早くも爆発、中高年中心の会場で初めて若者たちがステージ前に押し寄せ体を揺らし、『バンド・ワゴン』の有効性を強力に証明してみせる。田中章弘の唸りを上げるチョッパーベース(断じてスラップではない!)に、宮田繁男のド迫力16ビートのドラミングときてはもう反則だ。強力なリズム体に安心してか、茂さんのギターはややラフ気味で、それもロック的な臨場感を生み出していく。そのうえ選曲が「レディ・ピンクパンサー」「100ワットの恋人」、はっぴいえんどの「花いちもんめ」、そして必殺の「砂の女」! コンプレッサーを効かせた専売特許のスライドが観客を串刺しにする。この出し惜しみのなさは何なの。なんでこれをもっと前にやらないかな(笑)。いや今からでも全然遅くないのでガンガンこの路線を追求してください。


今回のイベントはトムス・キャビンの30周年記念とも重なり、ゆかりのあるミュージシャンもアメリカから招聘されていた。その一人がマーク・ベノ。共演するのはラリーパパ&カーネギーママ。ツアーにも同行しているようで、むしろ単独のステージよりも演奏の完成度が高かった。アメリカン・ルーツ・ロックという共通項を持つ日米の、しかも世代を越えたミュージシャンの共演は、フェスの意味を象徴するかのようだ。ベノのカントリー・ブルースの根を感じさせる歌とギターも、日本の若いバンドのサポートとリスペクトを受けて「本場」の香りを発散させていた。


そして、これだけは書いておかなければならない。
この日のベスト・アクトかつ最大の功労者は、間違いなく高野寛だ。
過去にしか存在しない「幻のアメリカ」との距離を測るかのような今回のイベントにあって、高野寛はハリケーン被災のニューオリンズでのファッツ・ドミノ行方不明*1に触れることで、ミュージシャンという立脚点から「現実のアメリカ」に向き合ってみせる。そしてより良い世界への祈りを歌に込めて観客へ投げかける。「夢の中で会えるでしょう」に思わず泣きそうになった(この曲のイメージソースがマーヴィン・ゲイであることも今回の演奏で気付かされた)。
伝説のミュージシャンだけを観に来た客に向けて、機材の不調から入念なサウンドチェックを行い、大川タケシ(東京60WATTS)と小谷美紗子という若い才能をプレゼンテーションする。*2またトリを担う小坂忠を支えるべく、レピッシュ100s(ひゃくしき)・東京60WATTSという俊英バンドからメンバーを集め、強靱なファンク・バンドを仕立て上げてもいる。佐橋佳幸とともに高野が担ったこのような仕事は、イベント初日のクライマックスにおけるミュージカル・ディレクターの役割に他ならない。
おそらくこの会場での高野寛の認知の大部分は「何となく細野周りにいるぱっとしない若造」といったものであり、圧倒的にアウェイであったといえるだろう。そんな観客の軽侮(あるいは敵意)の中で肚を据えやるべき仕事を行った高野寛は本当に偉い。そんな高野へ向けられた評価が「ちゃんと歌え!」などというイイ気な酔っ払いの理不尽な暴言のみであるならば、あまりにも不当に過ぎる。


自らのステージを終えて高野寛小坂忠を呼び入れる。待ちに待ったとばかりに会場全体が歓声で揺れる。何しろ選曲が「ありがとう」「機関車」「ほうろう」「ゆうがたラヴ」「バースディ」……鈴木茂といい忠さんといい、名曲を出し惜しみせず観客の期待に正面から答える。フォージョーハーフ以来の共演という駒沢裕城を加え、高野と佐橋が練り上げたバンドに支えられて歌う忠さんは、堂々のフロントライナーぶりを示した。幻のカントリー・ライフから幻のフィラデルフィアへ、そしてリアルな信仰へと向かう忠さんの歩みを映すように、その音楽にはカントリーの白さとファンクの黒さが溶け込んで、現在の小坂忠の音楽的な充実を浮き彫りにする。最後に歌われたロッド・スチュワートの「SAILING」には、悲しみからの解放と自由への飛翔を歌うゴスペルの本質が息づいていて、忠さんが選んだ意味はそこにあるのだろう。イベント初日のフィナーレを飾るのに相応しい爽やかな感動がたしかにあった。


ところで、この初日においてリアルタイムにロックを通過したのだろう中高年の観客の一部の、飲酒や喫煙、野次、ゴミ放置などのモラルの低さに呆れたが、実は70年代のロックフェスにおける観客というのは、こんなものだったのかも知れないとも思う。軟弱と思われがちな「はっぴいえんど派」「ウェストコースト派」にあってこの野放図さは意外に思えたが、これを当時のレコードを聴くだけでは判らない、70年代ロックのリアリティの一端と捉えるのは間違いだろうか。*3年齢層の高い観客が現在の(フジロック以降の)クリーンでピースフルなロックフェスに慣れていないということもあるだろう。しかし古いロック観のなかに「ゴミは持って帰れだの、煙草は決められた場所で吸えだの、そんなのはロックじゃない。ロックは反社会的な音楽だ」といったカウンターカルチャーの特権化や一種の教条主義が潜んでもいないだろうか。「渋谷系」「喫茶ロック」フィルタに漂白された70年代ロックと、汗臭く放埒な実際の70年代ロックと、1日目に見られた軋轢は「ふたつの70年代ロック」の衝突であったかもしれない。

*1:アラン・トゥーサンも行方不明だという。なんてことだ。
追記 両者とも無事である模様。良かった。http://news.yahoo.com/s/eo/20050902/en_music_eo/17283
http://blogcritics.org/archives/2005/09/01/184656.php

*2:大川の歌は永積タカシに続き高野が発掘した原石かもしれないと思わせた。

*3:鈴木慶一氏のブログのコメント欄を参照。
http://d.hatena.ne.jp/suzukikeiichi/comment?date=20050904#c