セクシーボイスアンドロボ

七色の声を操り、千の声を聞き分ける少女ニコ。巨大ロボと女を愛し、虐げられてもめげないナイスガイ・ロボ。2人は喧騒の巷に今日も事件の足音を聞きつける。黒田硫黄原作のハードボイルドな漫画を、プロデューサー河野英裕、脚本木皿泉、演出佐藤東弥の『すいか』を手がけたチームがドラマ化している。
かなり映画を意識していると思われる黒田硫黄原作に対し、人工的な構図や美術、誇張された演技、特撮的なカメラワークなど、ドラマ版は漫画的というかアニメに接近している(ニコの七色の声はもちろん吹き替えだ)。それでも2次元と3次元の間には深い溝がある。60年代日活や70年代東映セントラルのプログラムピクチャーのような神話的な世界で超然と生きていた少女ヒーローは、リアルな肉体の重みと涙の水分を湛えて、原作には登場しない家族とともに日常を過ごす普通の少女として具体化されている。これは実写化の限界というよりも、製作者の明確な意図によるものだろう。ドラマの第一話に持ってきたのが原作の最重要エピソード「三日坊主の天国」であることからそれは明らかだ。軽やかな探偵ごっこであったはずが、自分の知らないうちに手を汚していた。他人の人生に取り返しのつかない形で関わる=手を汚すことが生きることの本質であるという、ごっこではない「仕事の倫理」をニコは単行本2冊をかけて学んだのだが、ドラマ版ではあっさりと第一話にして、「おじいさん(裏社会の大立者)」ならぬ浅丘ルリ子(『すいか』の教授の転生だろうか)にそれを教示されてしまう。この製作者チームにとって「社会の中で他者に関わり汚れて生きる」ことはすでに前提であり出発点なのだ。クールな少女ヒーローなどではありえない、大人に一歩踏み出そうとする「仕事見習い」に過ぎないのだと。
こうした変更点によるものか、mixi黒田硫黄コミュでは大不評のこのドラマ化だが、私はかなり面白く観ることができた。登場人物の台詞であからさまに主題が提示されるのには驚いたが、原作からインスパイアされてこれだけのドラマを作ってくれたことに感謝こそすれ怒る筋合いなどない。これで原作が売れファンが増え、黒田硫黄が続きを描く気になってくれでもしたら万万歳だ。ニコは普通に可愛かったし、ロボは相当にロボでした。ただし、原作ファンは別にしても客を選びそうな作風だとは思うけど。