畸人たちの宴

で、友を見送った翌日、新宿末廣亭に寄席を観に行ったのだった。いやこんな時だからこそ笑いたいってなもんですよ。以前からの予定でもあったし。ヒトデナシの誹りは甘んじて受けよう。
今回のお目当ては十数年ぶりで高座に上がるという高田文夫去年小沢昭一を観に行った際には大変な混みようだったので並ぶのを覚悟していたのだが、午後2時に末廣亭の前に着くと、行列どころか全く人がいない。落語ブームが早くも去りかけているのか。あるいは小沢昭一高田文夫の格の違いか。メインカルチャー>>>サブカルチャー、あるいは『小沢昭一的こころ』>>>『ラジオビバリー昼ズ』なのか。
中に入ると余裕で1階の椅子席に座れた。空席はあるもののそこそこの客の入り。その内訳は引退後の老人たち、何となく通りかかったという風情の年配の主婦たち、ツアーのコースなのでとりあえず来ている観光客、その他正体不明の不穏な人々(私などもこの類ではあろう)。ここにいるのは熱心な落語ファンなどではなく、何となく暇つぶしに来ているような人間がほとんどだ。ブログに書くためにメモ取ってるオタクなんていやしない(笑)。中でも最前列にいる客がやばい。噺家のマイクの真ん前で爆睡する客、まったく表情を変えない女性客、噺の最中に入場して最前列に座ったかと思えば噺の途中で席を立つ客、やはり噺の途中で入場して最前列に座るや、物を床に落として「すみません」と噺家に話しかける客。そのアナーキーぶりに圧倒される。
だが客も客なら芸人も芸人。「テレビでは観られない」「ここでしか観られない」という言葉が全く肯定的な意味でなく当て嵌まる、決して憧れの対象などではなかったかつての芸人の姿がここにはあった。小林信彦的な芸人像ではなく、色川武大的な芸人像といえばわかる人もいるだろう。おそらくベテランであるにも関わらずまったくやる気の感じられない噺家、失笑するよりない下ネタを連発する噺家、テレビで観たこともないのも当然な、微妙極まりない初老の漫才コンビ。「落語はイリュージョン」「最小単位の演劇」的な言説はスノッブと批判されることも多いが(私もその口だが)、こうした寄席の現実を見ると、とにかくこの場所この客この駄目芸人から逃れたかったのだろうと心情が理解されてくる。
さて、散々な書きようを続けたが(それはそれで面白かったのよ)、夜の部のお仲入り後がこの日の眼目だ。最初に登場した漫才コンビの「〆さばアタルヒカル」はたけし軍団の人で、旧名「青空トッポライト」には聞き覚えがあった。高田先生の肝煎りなのだろうその漫才は確かに達者だったが、芽の出ない中年芸人の荒んだ心情も覗き、正直身につまされた。続いて高座に上がった春風亭昇太は、もう掃き溜めに鶴としか言い様がない水際立った話芸を見せた。というか周りの芸人が酷すぎた(笑)。もうね、近親婚を続けてアレな村から突然生まれた天才児みたいな輝き(笑)。やっぱり人気者にはそれだけの理由があるのだと納得する。
東京ボーイズは知人が関わっていたりして存在は気に留めていたのだが、生で観るのは初めて。だったのだけれど、最近のJポップなどへの色気も示しつつ(笑)伝統的なボーイズ芸を古さを超えた説得力で演じてみせた。なんていうか、昼の部にとぐろを巻いていたようなアングラ芸を、倦むことなく持続させアップデートさせ続けた凄みがあったと言えばいいか。
そしていよいよ立川籐志楼こと高田文夫御大が登場。トウシロウとは名乗るもののれっきとした真打ちだ。にもかかわらず、立川籐志楼の噺の魅力はその「トウシロウ性」=外部性にあるのだと思う。もともと話者と聞き手が属する現在の物語である枕と、過去の物語である噺から成る落語の二重性が、落語ファンとしての高田文夫の、噺を語る自分を外部から眺めるような視点によって、メタ性を一層強調される。落語の体を含羞交じりに手探りしながら、その本質に迫っていく。そこに高田文夫の芸の華があったのではないか。その華は、高田文夫のことなど全く知らなかったかもしれない客も(昼の部で帰ってしまう客さえ少なくなかった)大いに笑わせていた。
で、欠席の小遊三に代わりトリを取った噺家も高田先生が大きく受けを取った後でやりにくそうだったが、客席との間合いを完全に読み切っていて実に笑わせてもらった、のだが名前を失念(笑)。誰だっけ。
帰りに同行したmftさんとイタリアン食いつつ寄席の感想など話す。ある種フリークショウとしての寄席の楽しみというかね(ひでえ)。いやー面白かったです。葬式の後なのに出かけてよかった。