池上永一『シャングリ・ラ』(角川書店)

地球温暖化が深刻化した近未来。炭素排出量が国際経済の単位となった世界で、日本は炭素排出量削減のために東京を森林化し、都市機能を集中させた高層積層都市「アトラス」を建設した。スコールの注ぐ地上に住まう人々はゲリラ化し、森林化を推進するアトラスの政府と内戦を展開する。ゲリラの指導者であり高度な知性と戦闘力を持つ美少女・國子は、その戦いのなかでアトラス建設の本当の目的や自分の使命を知ることになる。
カリスマ戦闘美少女に十二単のサイキック美少女、凄腕投資家の美少女(美少女だらけ!)、最強格闘家のオカマ、サディストの女医などなど、類型を煮染めたような猥雑なキャラクターが神話的世界で躍動する様は、従来の破天荒な池上節を受け継いでいる。オカマや女医の背負う「異形の母性」は池上作品に共通するモチーフかもしれない。
だがそれ以上に本作には、いくつかの先行作品の影を感じる。具体的には大友克洋『アキラ』であり、宮崎駿風の谷のナウシカ』であり、荒俣宏帝都物語』だ。体制と反体制の戦いを軸に巨大都市ネオ東京のカタストロフを描いた『アキラ』。環境を浄化するための森に覆われた地球で、世界の秘密に迫る少女の戦いを描いた『ナウシカ』。呪的装置としての東京を舞台にしたサイキック・ウォーズ『帝都物語』。旧体制、旧世界の崩壊を望む80年代の空気が生んだこれらの物語の、『シャングリ・ラ』は再構成であるようにも見える。作品の構想に直接的な影響があるとは言わないが、少なくとも70年生まれの作者にとって、これらの物語が想像力の在り方を決定したと推察することはできる。
「システムの破壊と更新」を夢見た80年代、「でかい一発はこない」(鶴見済)という状況への無力感が支配した90年代、システムを維持管理する側に管理される側が感情移入する00年代と時代が推移するなかで、『シャングリ・ラ』が展開する80年代的な「でかい一発」は、あえて今という反時代的な意図よりは作者の天然ぶりを感じないでもない。いずれにせよ80年代育ちのおっさんとしては、『シャングリ・ラ』を「80年代リバイバル」としてニヤニヤしながら読んだ。80年代おたく文化の血脈を継ぐこの作品が文芸誌ではない『ニュータイプ』に連載されたというのも大いに必然性のあるところだろう。*1

*1:ちなみに書籍には収録されていない連載時の挿画は、吉田健一のサイトで見ることができる。具体的に絵として見ると、本作を支える想像力の在り処がいっそう納得できる。http://www3.ocn.ne.jp/~gallo44/