『文藝別冊 総特集 大瀧詠一』(河出書房新社)読了

冒頭に大瀧と内田樹の対談を配し、相倉久人との対談による「分母分子論」(83年)を再録した本書は、84年の『EACH TIME』を最後にソロアーティスト活動を停止して以後の「それからの大瀧」の活動を主に据えたという点で、類書に比べ画期的なものといえる。上の二つの対談は、日本のポップスが持つに至った複雑な構造を、外来文化と日本文化のせめぎ合いの歴史から解き明かす優れた文化論であり、その論の作者としての「大瀧詠一」にとっては、「大滝詠一」の音楽活動は理論を血肉化する上での実践例として前駆的に必要だったのだということになる。通常の音楽誌なら中心に置かれるはずの萩原健太によるディスコグラフィが巻末近くに追いやられ、特集名がアーティスト名「大滝」ではなく作家名「大瀧」とされていることからも、本書の「文化史家としての大瀧詠一」をフィーチャーする意図は明らかだ。
大瀧の筆による最初期のライナーノーツが収められているのも貴重きわまりない。とりわけデイヴ・メイソン『ヘッドキーパー』(72年)の解説において、収録曲それぞれに内容的人脈的な共通項を持つ他アーティストの楽曲を併置してみせる「DJ的視点」を提示しているのは驚くべき先進性というしかない。もっともその「DJ的視点」は今日のDJたちのように、音楽を歴史的文脈から切り離してBPMやグルーヴを基準にカットアップするようなもの(山下達郎がしばしば渋谷系以後のシュガーベイブフォロワー的なサウンドを「荒唐無稽」と評していたのは、こうした歴史性の欠如をさしていたと思われる。そこには別の面白さもあるのだが)とは本質的に異なり、逆に歴史的地縁的文脈を強調してみせるものだ。この時点ですでに文化史家としての大瀧が存在していた。
サエキけんぞう岸野雄一湯浅学といった「大瀧スクール」出身者ともいうべき世代の論客たちが、客観的な音楽分析に加えていわゆる「自分語り」にそれぞれ踏み込んでいるのも興味深い(大瀧の側で仕事をしていた湯浅の手記が自分語りなのは当然だが)。この「自分語り」というのは音楽評論では一段低く扱われるのだが、それでも本書の寄稿者の多くが自分史と大滝音楽の歩みを重ねてみせるのは、日本文化史の身体化とでもいうべき大瀧詠一の仕事を語る上で、論者自身の歴史を日本文化史の中に位置付けることが不可欠だからだろう。思えば岸野雄一が名乗る「スタディスト」の肩書きが意味するものは、大瀧詠一の姿勢そのものではないか。
大和田俊之が本書で

いずれにしても、大瀧詠一の慧眼は、常に過去の「歴史」を問い直すことで未来音楽の可能性を提示する。そして逆説的ではあるが、この「未来音楽の可能性」は、大瀧詠一が新作を発表しないことで無限に確保されている、とも言えなくもないのである。(「大瀧詠一アメリカン・ポピュラー・ミュージックの<起源>」)

と書くように、「大瀧詠一」が「大滝詠一」の音楽活動を歴史化してしまった今、かつての早川義夫ドナルド・フェイゲンのような復活劇を望むのはもう諦めたほうがいいのかもしれない。ならばせめて、大瀧による歴史の開示作業の一層の進展を期待するばかりだ。そこで気になるのが小林旭が幻の細野晴臣プロデュース・星野哲郎作詞・大瀧詠一作曲「ホルモン小唄」について「チャンスがあれば、また陽の目を見ることがあるだろう」と言及していることだ。この作品、アキラサイドでストップをかけてオクラ入りしたものと思っていた。こうなるとこの大ネタが世に出る可能性も俄に高まってくるではないか。うおーーーーーーー!!