日々の備え

友人の父君が亡くなられ、通夜に参列する。自分の焼香の他は式場の外にいたのだが、伝え聞くところによると愉快なハプニングなどもあり(詳細は書けないが)、しめやかな中にもどこか明るさを湛えた式の様子が想像された。御家族の方々は疲れてはいたのだろうけど、少なくともこの場では悲しみを見せることなく、表情は晴れやかであった。別れは必ず訪れるものであり、バトンを引き継ぐべき自分の人生を弛まず飽かず歩み続けることが、その時を悔いなく迎えるための準備となる。残った人々の明るさは、そうした日々の積み重ねの上にあるのだろう。翻って自分のことを考えるにやるせない。
式の後で会食の席に導かれたのだが、酒まで用意されているものの故人を偲ぶ場でもある。若輩者にはこうした席でどのように振る舞えばいいのかフォームが定まらない。一方、既に何人もの友人縁者を見送ってこられた人生の先輩方は堂々としたもので、飲み食いしながら昔話に花を咲かせている。いつしか私たちも鮨をつまみビールをぐいぐい、抑え気味の酒席モードに。大人になるというのは面の皮と腹の肉が厚くなることか。
ところで久しぶりにスーツを着たのだが、胴回りが激しく膨張しており、ホックが留まらないズボンの中に奔放なお肉を無理矢理収納。アンコが出る寸前と思われたが、図々しく通夜の食席の御相伴に与りながら腹が弾けることもなく、お肉は収まるところに収まったのだった。人体の不思議に打たれる。