勝田文『あいびき』(集英社クイーンズコミックス)

専業主婦だった鞠は半年前に離婚、実家に戻り家業の銭湯「山の湯」を手伝っている。老朽化した銭湯が地元の年寄りの社交場になっているのはどこも同じ。その山の湯に、弟の大学時代の友人・近藤が転がり込んでくる。勤めていた工場が焼け、その近くの自分のアパートにも延焼し、全てを失った男。だがそんな彼の特大の不幸もものともせず、山の湯の日々はのほほんと続いていくのであった。
出戻りのヒロイン、出来ちゃった婚の弟、不幸テンコ盛りの男(プラス一家離散)と、表題作「あいびき」の登場人物たちの人生はそれぞれに傷を負っている。他の収録作品も「木俣くんの手品」の主人公たまきは幼少時に母に去られているし、「ペイ・デイ」の久嗣は父親と死別して母子家庭に育ち、そのためか妻とも別れている。『あのこにもらった音楽』(白泉社)も、ピアニストとして挫折した男と、母を失い父とも遠く隔てられて育った娘の物語だった。
こうして並べると、作者は「傷付いた人生」に愛着をもっているように見える。それはそうなのだが、その傷が殊更にドラマを生んだりはしないところが勝田文の漫画の持ち味なのだ。あの川原泉の、平たい顔をした大平楽なヒロインたちですら、秘められた「傷」を察する他者によって健気さを強調されていたというのに。「あいびき」の近藤の不幸にしても、銭湯に転がり込んでくる理由以上の言及は一切なく、鞠の前夫も物語には登場しない。そのことを周囲の人間も本人たちも、全く気にするところなく淡々と日々を過ごす。『あのこにもらった音楽』の、主人公のピアニスト生命を奪った罪悪感に苦しむ女性ピアニストに至っては、妙にテンションの高い思い込みの激しい人扱いだった。この淡白さは、巧いんだか下手なんだか微妙な、だが時々とても魅力的な表情を見せるフラットな絵柄の力でもあるが、「心の傷」を特別な物語の根拠にすることを許さない、あるいは羞恥を覚える作者のメンタリティに由来するのだろう。
人生いろいろをいろいろのまま保ち続け、それでもなんとなく幸せだと思えてくる勝田文の漫画を「癒し系」と呼ぶこともできる。もっとも、癒されるべき傷の存在を主張するような野暮は、この「平熱な人々」の前に事もなく一蹴されてしまうのだ。