『夢果つる街』読了

夜8時に寝て深夜0時に起き、眠れないままにトレヴェニアン『夢果つる街』を読み終えた。関川夏央はハードボイルドを「苦労人の小説」「大都市の小説」と規定していたが(藤沢周平『ささやく河』新潮文庫版の解説)本書もまさに、最上級の「苦労人の小説」であり「大都市の小説」だ。以下感想の代わりに引用する。

(街の現実に触れ警官という仕事に疑問を抱き始めた新人刑事が、叩き上げのラポワント警部補に思わず漏らす言葉)
「(略)ちょっと訊いてもいいですか、警部補? おまわりをつづけていったら、だれだって人間が嫌いになるだけじゃないんでしょうか?」
「そうじゃないのもまれにはいるさ」
「警部補も?」
ポワントは若者の真剣な、苦痛にゆがんだ顔をじっと見つめた。「あすの朝会おう」
「はい」

あちこちの街角で、商業用のビルディングを建てるために、一ブロック全体のテラスハウスが壊されつつあった。鉛ぶきのマンサード屋根をもつ三階建てのヴィクトリア式煉瓦造りの家が立ち並ぶ狭い路地は、土地の価値と近辺に住む上流階級の人びとの生活環境とを落とすことなく小さな工場や商店を集中させようと、その餌食になりつつあったのだ。ザ・メインの住人たちはきわめて貧しく、この上なく無知で、政治的にも無力そのものだったから、都市計画委員会の温情主義的暴政から身を守ることなどできはしなかった。(略)
こうしたドラマチックな攻撃とは別に、もっと巧妙な方法でザ・メインはあらゆる面から絶え間なく侵食されていた。個人も組織も、旧モントリオールの景観を伝えるものを残すことが利益となる事業となり得ることに気づき、保存のためという口実のもとに家並みは買い上げられ、〝骨董〟的な外見だけを残して内側は取り壊された。立派な上下水道とセントラル・ヒーティングがほどこされ、部屋は拡張されて、どの家も、羽振りのいい若い弁護士とか、キャリア・ガールの二人組とか、室内装飾家の夫婦とか、そういった人たち向けに作り変えらえた。ザ・メインに住んでいるのだといって友人たちをびっくりさせることがひとつのファッションになっていた。だが、こうした人びとは本当の意味でザ・メインで暮らしているわけではない。彼らはザ・メインでおままごとをしているのだ。
ポワントはすべてを見ていた。