鈴木理生『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)

徳川家康がその地に足を踏み入れるまでの約276年間にわたって、江戸は鎌倉円覚寺の荘園だった。江戸時代は幕府による円覚寺領の横領によって開幕するのだが、その事実は公式の歴史からは隠蔽されてきた。本書は、江戸が海に突き出た「江戸前島」と呼ばれる半島部であった時代から筆を起こし、度重なる巨大な公共事業「天下普請」と、水運の整備とともに繁栄した商業活動によって「大江戸」が建設されていく歴史を解きあかしていく。
改めて驚かされるのが、江戸が徹底して人工的に作り上げられた都市であるということだ。半島の付け根の日比谷入江を臨む場所に江戸城を築き、海からの外敵の侵入を防ぐために入江を完全に埋め立て、江戸湊に流れ込む川の流れさえ大胆に変えて、人工の水路を建設する。現代の東京人が架空のノスタルジーとして抱く「水の都・東京」という原風景すら、実は今日のゼネコンを凌ぐ規模の土木工事によって建設されたものなのだ。経済の動脈である水路に沿って、商業活動の拠点が造られ町が生まれる様子は、現在の鉄道と不動産屋が中心となった郊外開発を思わせる。
さらに著者は、寺とその周囲の寺町が江戸の拡大につれ中心部から低湿地に移動させられる理由について、こう説明する。

低湿地や埋立地を早く完全に陸地化するためには、その土地の排水の改善と埋め立て材料を絶え間なく供給することにある。(略)
しかし武家地・町地の別なく建築物の建つ宅地では、そうした陸化への追加材料の供給は限られてしまう。
ところが墓地の場合は死人は絶え間なくあるわけであり、葬式の都度の副葬品や供物は現在のゴミと同じ効果を持つし、石塔・墓標もまた陸地化の材料である。また現在とは比較にならないくらい、墓参りがひんぱんに行なわれているが、それも恒常的なゴミの供給と同じ効果を生じる。

つまり、寺も墓石も人骨もそのまま埋め立ての材料となり、利用価値のある陸地となったところで武家地や町地に転用されたというのだ。これには現在の倫理観・価値観からは想像もできない新鮮な驚きがあった(当時の人々は位牌にのみ霊性を感じていたのではないかと著者は言う)。東京は墓石と人骨の上に築かれた都市なのだ。
この江戸時代から連続する東京人の(あるいは日本人の)過去への執着のなさは何に由来するのだろう。少なくとも「自然に挑む西洋」「自然と共生する東洋」という常套句は嘘だ。どんなに環境を傷つけてもやがては都市の遺構すら覆ってしまう自然の回復力への信頼なのか。あるいは、輪廻転生のように全ては姿を変えていくという宗教観なのだろうか。
いつか六本木ヒルズも墓石となって、まだ見ぬ未来の東京の土台になればいい。たびたび江戸を見舞った大火ですら新たな都市計画の契機に利用したという、所詮我々は土建の民の末裔なのだ。