恐るべしブックオフ

カラオケのネタでも仕込もうとブックオフへ。したら1500円以上お買い上げでくじ引きをやっていて、折しも店内には「おめでとうございます! ただいま1等のジャガーの折り畳み自転車が当たりました!」という声が高らかに響き渡っている。自転車など全く欲しくはなかったが、持ち前の貧乏性が発動しスガシカオ『SUGARLESS』(01年)を1250円、濱田マリ『フツーの人』(95年)を250円と1500円ちょうどで購入、早速くじを引くも……はずれ。50円ぶんの金券をもらう。まあやらせではあるまいが、つくづくちょろい客であることよ。カラオケ関係ないし。

 花輪和一『刑務所の前』第2巻(小学館)

銃身 モロズッポヌケ しかも、ライフリング入り、
ま、本チャンだから 当然よね。

モロズッポヌケとは、モデルガンならば塞がれている銃身が、本チャン(実銃)のように貫通しているということ。本作ではガンマニアであった*1作者がモデルガンを実銃に近付けるべく改造する姿や、部品が欠けていたり朽ち果てていたりする実銃を本来あるべき形に復元しようとする過程が、克明に開陳されている。こうしたモデルガンの趣味というのは、実銃が容易く入手できる米国などではここまでの熱狂を呼ぶことはないだろう。まがいものであるからこそ、本物に近付けようとする情熱が、ある意味で本物以上の価値を与える。
また本作では現代と平行して、中世の鉄砲鍛冶の娘と、親に反抗し真の自己を確立すべく修験道に走る娘・うめの物語が描かれる。うめが求める真の自己というものは一種のフィクションだが、フィクションであるがゆえにそこに近付こうとする自己鍛練は激しさを増す。
さらに、モデルガン趣味が昂じて銃刀法違反に問われた作者が収監された刑務所生活では、規則正しい食事や運動、労働、その合間の僅かな娯楽が、限定されているためにかえって娑婆の生活以上に生の実感をもたらす。刑務所の生活は、実世間のミニチュア、モデリングのようなものだ。
本作に描かれる3つの物語——作者の実銃復元/刑務所での生活記録/中世の娘たちの幸せ探し——これらはともに「遠くにある(がゆえの)幸せ」を描いている。言い換えるなら「幸せのモデリング」。実際には存在しない「本物の充実感」を求めるがゆえに、偽物は本物以上にギラギラと輝き、だがその希求は満たされることがないだけに業が深い。失われた刑務所生活*2の記憶を実銃同様に精緻に復元し、同時に中世の生活を見てきたように再現する花輪和一の創作は、ガンマニアから足を洗った後も見果てぬ「本物」を志向せずにいられない。その因業ぶりを外側から眺める客観視点が、あの円らな瞳の童女たちであり、丸顔で髭の濃い花輪本人の自画像なのだろう。花輪世界を因業パノラマとして娯楽化しているのは、この客観性によるところが大きい。

もお〜、どもこも ならんから。
おまけにケツの穴まで見られちまっちゃあな、官になあ。

業の深さと裏腹なこの諦観が何とも清々しい。

*1:もっとも作中の執拗な描写を見るに、本当に足を洗えたのかは疑わしいのだが。

*2:作者が収容された拘置所はその後解体されて駐車場になった。

 矢野顕子『ひとつだけ/the very best of 矢野顕子』(96年)

このベスト盤を実は聴いていなかったのだが、近所のレンタル屋で見つけて借りてきた。これだけは聴きたいと思っていた「気球に乗って」のキャラメル・ママ演奏バージョンがやはり白眉だ。リトル・フィート版に比べるとグルーヴの周期が短く感じるのは、林立夫の正確にタイトにリズムを刻むドラムと、細野晴臣の音数の多いベースが小節を細分化していくためだろう。フィーツの豪放とキャラメルの端正、どちらも捨て難い。
ところで、「いいこ いいこ(GOOD GIRL)」を聴いて不意に泣きそうになってしまった。

たまにね
たまにね ほんとに たまにね
おかあさんも ほめられたい
さくらの季節に いちどだけとか
そのくらい たまにで いいんだ
いいこ いいこ いいこ いいこ

私はおかあさんでもおとうさんでもないが、ほめられたい。
ほめられる内実などないが、それでもほめられたい。
たまに日記が おもしろいとか
そのくらい たまにで いいんだ


……馬鹿かねチミは。