ロナルド・A・ノックス『陸橋殺人事件』(創元推理文庫)

ふたつの世界大戦の狭間で平和を謳歌するイギリス。没落貴族の旧家をクラブハウスに、今日も優雅にゴルフに興ずる男たち。そのゴルフ場の片隅に、無残に変わり果てた姿の死体が転がる。頭上の陸橋を走る列車から突き落とされたらしい。知性と退屈を持て余した男たちが、事件の謎に挑む。
推理小説で「やってはいけない」ルールを定めた「ノックスの十戒」によって知られる作者だが、その作品を読む機会がなかった。たまたま実家にあって読んでみたのだが、なるほど精緻にできていて、「素人探偵たちの仮説のぶつかり合い」という趣向、二転三転する推理の成り行きはバークリー『毒入りチョコレート事件』を思わせる。ただし、どの人物も謎解きのために役割を振られた駒のようで、属性は与えられていても内面がない。心理の葛藤でドラマを盛り上げることなく、梯子外し系ユーモアというかオフビートな展開に終始する。「人間が描けていない」という本格批判にまさに該当しそうな内容だが、もとより人間を描こうという意図のもとに書かれた小説とは思えないのでこれはこれでいい。情動ではなく論理に駆動される、純粋な知的遊戯としての推理小説を作者が求めたなら、それは成功している。これはあくまでも知的なパズルゲームなのだ。件の十戒教条主義などではなく、ゲームをより面白くするための縛りであるのだろう。
それにしても、ゴルフ三昧の主人公たちの日常描写といい、議論を戦わせるやりとりといい、カトリックプロテスタントの対立といい、いかにも英国的な匂いが全編に漂う。面白いゲームのルールを考えるのはいつも暇を持て余した英国人だ。「ノックスは半分ジョークとして十戒をつくった」(殊能将之鏡の中は日曜日』)というのも納得がいく。*1

*1:戸川安宣氏の解説でも、作中にノックスが仕込んだジョークのネタばらしがされている。これは本編を読了してから読んだほうが「してやられた」感を味わえるので注意。