『最強伝説黒沢』最終巻発売

書店に並ぶ福本伸行最強伝説黒沢』11巻(最終巻)の帯に「黒沢、死す!?」なる煽り文句が踊っているのを見て「ひょっとしてあの連載時の最終回の後に加筆があって、何らかの後日譚なり、よもやどんでん返しが書き加えられているのでは」と期待して、パックされて中身が読めない単行本をレジに運んだ人も少なくないだろう。
そういうものは一切ない。黒沢の時間は、やはりあの『ビッグコミックオリジナル』連載時の最終ページ、最後のコマで止まっているのだ。これから単行本を購入する人は、そこは弁えておいたほうがいい。いや、あの帯に版元の姑息な商魂があるかのような妄想に駆られて、つい警告めいたことを書いてしまった。
妄想ついでに触れるなら、あの最終回は賛否両論だったが(否の方が多いか)当初からの構想だったとは思えない。あれはやはり「打ち切り最終回」の一典型ではあるだろう。ただこれもある意味では構想のうちというか、作者福本伸行の中では「編集部に打ち切りを通告された場合はこのラスト」という腹積もりはあったのではないだろうか。伏線などなく、納得できる理由もなく、それまでの積み重ねとまったく無関係に訪れる「無意味で理不尽な死」。雑誌連載の突然の打ち切りというのはそんな「無意味で理不尽な死」そのものだ。むろん福本は赤木しげるではないので、「そんな理不尽な死だからいい」などと思ったりはしないだろう。むしろそんな漫画家としての「仮想の死」を本気で死に、自らの主人公の死に殉じたのではないか、という気がしてならないのだ。そう思えば、作家と作品の本分をぎりぎりで全うしたと言えなくはない。
こんなことを考えるのはそれこそ無意味だが、もし『最強伝説黒沢』がああいう結末を迎えることなく、今も連載が続いていたとしたらどのような展開になっていたのだろうか。おそらく、福本にはドラマの展開について何の構想もなかっただろうと思う。というより、あえて考えないことによって、多くの人にとっての「目的のない、起伏のない」実人生の在り方をなぞろうとしていたのではないか。もはや誰が読むのか何のために描いているのかわからない、どんな結末を迎えるのかもどうでもよくなった長期連載がだらだら数十巻に渡って続けられる『ビッグコミック』系雑誌というのは、そんな「人生のシミュレーション」を実現するのにもっとも適した媒体だろう。福本が『ビッグコミックオリジナル』という舞台に期待したものは、主人公の生きる物語内時間と実時間がシンクロするような大長編連載ではなかったか。しかもそこには何の目的もドラマもない。数十年後の『ビッグコミックオリジナル』を開けば、やはり小さなアパートで独身のまま暮らす(一度くらいは恋物語も入れてほしいが)黒沢老人がいる。それなりに町内で(良くも悪くも)顔を知られており、昔の仲間とだらしなく飲み、トラブルに巻き込まれては束の間の英雄になり、すぐに忘れられ……。そんな無意味な日々を積み重ねた黒沢が、やがて自然な死を迎えるその場その時にあって、多くの人の手の温もりを「あったけえ…」と感じることができたなら、「抗った生」はまた違う輝きを持ちえたのではないか。
まあこれはさすがに妄想だが、やはり『最強伝説黒沢』は惜しむべき作品だと思う。