細野晴臣『アンビエント・ドライヴァー』(マーブルブックス)

95〜96年、02〜06年の2期にわたり細野晴臣が雑誌連載のために語り下ろした言葉を、聞き手の山本淑子がエッセイ風に再構成したのが本書である。そういう成り立ちにもよるのだろう、本書から立ち上がる細野晴臣像は「細野晴臣以上に細野晴臣らしい」。細野自身の言葉を借りるなら

ドアを開けてぱっと現れた瞬間、僕には彼が何を望んでいるかが瞬間的にわかる。すると、僕は自分をその人の望む姿に変えてしまう。(中略)相手は自分の見たいものしか見ないのだから、違うものを見せてもしようがないというのが僕の言い分だ。(P.206)

本書に顕現する「細野晴臣」は、「生身の細野晴臣」「細野の内なる細野晴臣」「山本の内なる細野晴臣」の混淆した姿だといえるだろう(インタビューというのは多かれ少なかれそうしたものだ)。ここには細野のエゴばかりでなく他者性が豊かに含まれており、その中には取材者が望む細野像も(どれだけ虚心坦懐に臨んだとしても)入り込むことは避けられない。結果、本書は極めて魅力的な「翁」「隠居」の箴言集の趣を呈している。そのことを非難しているのではなく、むしろそのことが本書を『地平線の階段』(八曜社)以来の濃密な読み物にしていると言いたいのだ。
小山田圭吾が帯に記す通り、本書は「多くの啓発やユーモアに満ちていて」「縁起のいい気持ちに」なる。心に触れた部分を書き出すだけでもかなりの量になってしまうが(とりわけ「おっちゃんのリズム」をコンピュータで記述する具体的な方法や、モンドとアンビエントの違いに触れたくだりなど)、ここでは多分に私自身の願いを投影して読んだ箇所を引いてみたい。つまりは「その人の望む姿」「自分の見たいもの」にほかならないのだが。

考えてみれば、太古の時代には自分一人で演奏し、聴くような音楽があった。現在でも、少数民族にはぼそぼそと歌う人たちが多い。(中略)どうやら自分が聴こえればいいということらしい。彼らは、自分を通して世界とつながっていることを実感しているのだろう。そして、どんなにひそやかな音でも世界に響いてしまうことを知っているのだ。(P.53)

DTMの個人作業によるアンビエントエレクトロニカが、個的でありながら個に閉じず、世界に向けて緩やかに開かれている様を、ある種の民族音楽の姿に準えているのだが、私がここから連想したのは、風野春樹さんの「銀河通信論」だ。

たとえばRead Me!や日記才人の一票のような、きわめて間接的で淡々としたコミュニケーション。日々誰に向けているのでもないテキスト淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、ということに心を癒され、直接感想メールが来たりすると、かすかな苛立ちを感じずにはいられないような、そんな「コミュニケーション」。
 それは、アメリカ人からすればコミュニケーションの名にすら値しないようなものなのかもしれないのだけど、「それはどこか宇宙の果ての知らない星からの長距離電話」(谷山浩子銀河通信」)であり、「誰でもない他者」からの「あなたがここにいること」への承認のメッセージなのだ。だからこそ、誰が読んでいるかはわからないけれど、「もしもし見知らぬ私の友達 私はちゃんと歩いています」(同上)と日記を書くのである。細い、細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション。そもそもウェブ日記にとってもっとも重要だったのは、そうしたコミュニケーションだったように思うのである。
http://homepage3.nifty.com/kazano/200305c.html#29

ブログツールの勃興期に、旧来のテキストサイト側からの違和感がいくつも表明された中で、この論は今でもどこかで私を支えている。個人の主張とも呼べない密やかな呟きが、決して無意味なものではなく、どこかで誰かに届いているはずだ、届いていてほしいという「願い」にも似たコミュニケーション。こうした初期のネットの在り方は、90年代の細野晴臣の活動や「アンビエント」、あるいは内省的なシンガーソングライターの音楽に通じるように思う。細野も本書の中で、

アンビエント真っ盛りの頃、僕にはメロディや歌詞があまり重要なものと思えなくなっていた。アンビエントの世界ではむしろ、音楽イルカの声や鳥の声といったSEサウンド・エフェクト)、つまり環境音を取り込むことで外側とつながっていることや、音楽を包み込むものが大事なんだということ、インターネットを通じて人と人とがつながっていることなどのほうが、大切な感じがした。 (あとがき)

と、90年代半ばの状況を振り返っている。この時期はちょうどインターネットの黎明期にあたるだろう。だが、こうしたアンビエントの海にも似た静かなコミュニケーションの時代は過ぎ、ブログの時代になって繋がることは自明の事実となり、繋がりの多寡はブックマーク数やトラックバック数によって序列化された。「アンビエントの海」は干上がって、ヒットチャートの世界に誰もが編入させられる、そのような圧力の下で「細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション」の必要を訴えるのは困難だ(風野さんの日記も更新が停止して久しい)。皆あまりにも性急に、反応を、承認を、繋がりを求めすぎる。


しかし、細野晴臣は「儚いコミュニケーション」の世界であるアンビエントの海から、再びポップスの大陸へと上陸し、旺盛な活動を続けているのは周知の通りである。ヒットチャートの世界の序列化圧力に与せず、孤独な実験に耽溺することもせず、「『あの世』の音を『この世』の空気に馴染むようなものとして、抽出できたらすばらしいに違いない(P.244)」と願って「地味」にポップスを演奏し続けること。それを可能にしている細野晴臣のバランス感覚は何に由来するのだろうか。
私が思うに、それは細野晴臣の「適当さ」「飽きっぽさ」によるのではないか。ニューアカニューエイジ新興宗教などの神秘主義アイテムに手当たり次第に手を出しながら、狂信に陥らず軽やかに(軽薄に)飛び続けられたのは、それらを細野が通過した音楽の様式やテクノロジーと同様に「ツール」として利用するが執着はしない「適当さ」=客観性を保ち続けてきたからだろう。ネイティヴ・アメリカンの生き方に共感するのも、それが最も実践するハードルの低い「適当」な在り方だったからに違いない。
細野はこんなことも言っている。

ここ二年ほど、インターネットニュースを見ては、気になるものをクリッピングすることが習慣になっている。クリッピングといっても、ニュース写真と一緒にコピーペーストしてファイルにするだけなのだが、何か自分で手を加える点があるとすれば、限られた字数のなかで一目見て何だかわかるようなタイトルを考えることだけ――これは、僕がいまだに*1MacOS9を使っていて、ファイル名の字数に制限があるからだ。(P.222)
集めたニュースは、単に自分の嗜好で並べているにすぎない。毎日流れてくるおびただしい数のニュースから、恣意的にピックアップしているだけだ。だが、そんなニュースと自分の個人的なことがふとした弾みにつながったり、共鳴したりする。僕は、地図曼荼羅を描くように、ニュースを通して自分のいる場所を確認しようとしているのかもしれない。(P.225)

ソーシャルならぬパーソナル・ブックマークともいうべき営みだが、細野の音楽がそうであるように、それは自分をとりまく環境との対話を通じて自己を発見する、充分に社会的な表現であろう。一音楽家としてテクノロジー社会と斬り結んできた細野晴臣の真骨頂とも言えそうな話ではないか。せめて私も「はてブ体制下で誰も読まない日記書くのしんどい」などと腐らず、愚かしい日々の記録を「適当に」続けていくことにしよう。すでにその程度の元気は『アンビエント・ドライヴァー』から受け取った。

横丁のご隠居は、その界隈の騒ぎを外から眺める公平な立場にいる。文字どおり「隠居」しているためになんの責任もしがらみもなく、ただ遊んでいるだけのような存在。そうでないと、横丁のご隠居は務まらない。そして、だからこそ共同体に必要とされてもいる。
横丁のご隠居のように仕事を離れている人には、どこか「軽さ」がある。反対にどんな職業であれ、仕事をしている人には「重み」が感じられる。重みというといいことのようだが、ある種の重力のようなものだ。この重力がくせもので、重い人は軽い人を引っ張る力があるけれど、軽い人は重い人を引っ張らない。最近、重い人に引っ張られるように感じたことが何回かあった――僕は軽いのだろうか。そうであればよいのだが。(P.205)

真のご隠居への道は遠い。形だけは似ていなくもないのだが。

*1:「さすがにいまはMacOSXを使っています」と後注にあり。