逃げ水

いつものようにドトールで本を読み終えて、席を立ちカップを下げた直後、飲んだはずの水のコップがないことに思い当たる。振り返りテーブルの上を見るがコップはない。そんな。確かに水を飲んだはずだ。コップをサーバーのレバーに押し付けた手の重さも、咽喉を滑り落ちる水の冷たさも、鮮明に覚えているのに。
困惑してフリーズした数瞬の後、その水の感覚が、二日前にファミレスのドリンクバーで汲み飲んだ水の記憶であると気がついた。ドトールでコーヒーを飲むときは水も、といういつもの習慣に基づく思い込みが、それを補強するために、水を飲んだという肉体の記憶を過去に遡って参照したのだろう。それにしてもつい数分前に体験したことだと疑わない、生々しい現実感があった。