音楽の生まれる場所

「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート(公開リハーサル)」
2006年8月28日 東京・下北沢タウンホール


かのはっぴいえんど『風街ろまん』(71年)をはじめ、日本の録音音楽史に大きな軌跡を残したエンジニア・吉野金次さんが、今年の春に病を得て療養生活を余儀なくされた。その吉野さんの復帰を願い、縁ある音楽家たちが急遽集まってのコンサート。なのだが、あまりの豪華メンバーにしてあまりの小規模な会場(収容人数294名)とあって、チケットを取るのは至難。私も敗北し忘れたふりで不貞寝するつもりが、余分にチケットを取れた人のご厚意にあずかり、本番前の「公開リハーサル」に行けることになった。ありがとう!


演奏が始まる前のステージに矢野顕子さんが登場(今回は全て敬称付きです)。これから行われるのが「リハーサル」であって、あくまでもコンサート本編とは異なるものであることを説明する。それにしても、ボーダーのシャツに7分丈のパンツという軽快なスタイルの矢野さんは、歳を重ねるごとに瑞々しさを増していくようだ。矢野さんが舞台袖に去ると、客電を付けたままステージのセッティングや照明の打ち合わせ、PAの調整などが行われ、舞台裏の臨場感が高まってくる。まあ働いているスタッフにはそんな意図はないのだろうけど。


そして最初に登場したのは細野さんとバンドのメンバーたち。
1曲目「Morgan Boogie」が始まってすぐ、細野さんの声がとてもよく出ていることに気づく。狭い会場で間近に見るギターの指使いも生々しい。演奏のグルーヴ、洒脱さ、一体感も申し分ない。何より細野さんもメンバーも楽しそうだ。昨年の狭山での演奏に終わらず「東京シャイネス」でのライヴ活動を細野さんが続けてきたことに私としては疑問があったのだけれど、こうしてバンドとともに歌い演奏する「普通のミュージシャン」としての溌剌とした姿を見ると、やっぱり続けてきた甲斐があったのかと思わされる。少なくとも隠遁して妙に伝説化されるよりずっといい。その場でテンポや演奏の決めを打ち合わせ、「ももんが」を2回演奏してチェックするなど、いかにも「リハーサル」ならではのカジュアルさは、きっと本編とはまた違う魅力あるものだったにちがいない。ソロアルバムの内容への期待も高まりました。
細野晴臣vo,ac-g/浜口茂外也per/徳武弘文e-g/伊賀航ac-b/鈴木惣一朗mandolin/コシミハルaccordion/高田漣steel-g
1.Morgan Boogie
2.ポンポン蒸気
3.暗闇坂むささび変化×2
4.ろっかばいまいべいびい


細野バンドから浜口茂外也さんが残ったところに友部正人さんが登場。
友部さんの歌を生で聴くのは初めてだ。自分でギターをチューニングし、ハーモニカホルダーを首に下げ、初めて音を合わせるという浜口さんと軽い打ち合わせの後に歌い出したのは「Speak Japanese,American」。日本に来て言葉と文化の違いに戸惑うアメリカ人たちの姿を素描する詩の世界は、近年ライヴをよく観る中川五郎さんにも通じるが、力強いギターのストロークと一体となって、塩辛い歌声がストレートに胸を響かせる説得力は、まさに友部正人の歌の力だ。浜口さんの演奏も、細野バンドでのシャッフルしスイングするスタイルとは異なり、ストレートなロックのビートを叩き出す。
続けて「いかにもリハーサル、ってのもわざとらしいので……」と会場を笑わせ、「本番ではやらない曲を」と、「雨は降っていない」を歌い出す。ギター一本と歌さえあればどこにでも行けるという、フォークシンガーのリアリティがそこにある。この「リハーサル」では近年のレパートリーが選ばれていたけれど、本番ではかの名曲「一本道」を歌ったとか。それも聴きたかったなあ。
友部正人vo,ac-g,harmonica/浜口茂外也per
1.Speak Japanese,American
2. 雨は降っていない


次は、フォークの世界から一転して大貫妙子さんの登場。白のノースリーブに濃い色のロングスカートというエレガントな出で立ちは、ピアノで加わる矢野さんと好対照。
最初に歌ったのは名曲(このコンサートは名曲ばかりだけど)「横顔」。なのだけれど、モニタースピーカーの返しを歌手の耳の高さでチェックするために、大柄な女性スタッフが大貫さんの後ろにぴったり張り付いている、その姿が実に可笑しい。大貫さんも歌いながらつい笑ってしまう。そんなこともあってか、矢野さんと打ち合わせの後もう一度「横顔」をフルで歌う。都会に生きる男女のスケッチを、クールな声と、陰影がありつつも軽いタッチのピアノで描いたここでの「横顔」は、ローラ・ニーロふうの佇まいからシュガー・ベイブの残照を漂わせていてとても良かった。そして、気の置けない同世代トークを交わしつつ歌い始めるのは「ウナセラディ東京」。これはまた渋いピーナッツですね! ピッチやコーラスの入りを変えてもう一度演奏。これもまたリハーサルならでは。大貫さんは「観客のいるリハーサル」に戸惑っていたけれど、だがそこが良い。
大貫妙子vo/矢野顕子p,vo
1.横顔×2
2.ウナセラディ東京×2


ステージにはオレンジ色のフェンダーベースが持ち込まれ、いよいよ待望の細野晴臣矢野顕子のデュオが登場。
かつて『ソリトン・SIDE B』で観て以来の共演、もちろん生で目撃するのは初めてだ。適当な(笑)打ち合わせの後に演奏されるのは「相合傘」! 『いろはにこんぺいとう』収録のアレンジに沿った演奏だが、はっぴい版で聴かせた細野さんの乾いた声と、矢野さんの愛嬌ある声の組み合わせは絶品。ファンキーなベースとピアノの絡み合いがまた最高。それでも細野さん、もうひとつ納得が行かなかったのか再度「相合傘」。今度はベースがより音数多くアグレッシヴで、矢野さんもとても楽しそう。小さな会場だけに、親指と人差指、中指で弦を弾く奏法を見て取れるのも嬉しい。続いて先のフジロックでも演奏されたという「終りの季節」。なのだが、細野さんがベースではできないと言い出して急遽アコギを用意(ソリトンではベースだったっけ)。軽いカントリータッチでの歌と演奏はソリトン版の深みはないけれど、曲本来の楽しさを充分に引き出していた。
細野晴臣vo,e-b,ac-g/矢野顕子vo,p
1.相合傘×2
2.終りの季節


そして最後に、矢野さんがソロで登場。矢野さんのライヴもこれが初めて。先の友部さんの言葉を聞いて、自分も本番ではやらない曲をやりたくなったと「ひとりぼっちはやめた」を歌い出す。ジブリではなかったことにされかけている『となりの山田くん』の主題歌だが、その当時はそれほどの曲だとは思っていなかった。けれど、静かに会場へ滑り出したその歌とピアノは本当に自然体としか言いようのない、何の気負いも見栄もない柔らかさで。本来その歌に含まれていた孤独とそこからの解放を、雨が地面に染み込むように伝えてきて、私はもう涙を堪えてました。続いて観客に「どれがいいですか?」と三択で選ばせたのが「朧月夜」。「菜の花畑に入り日薄れ」のあの唱歌だ。それが矢野さんの手にかかると、「良い歌」への身も世もない欲望ぶりなどはかけらも感じさせない。
菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。
里わの火影も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙のなくねも、かねの音も、
さながら霞める朧月夜。
その歌詞が歌う失われた世界の情景そのものを、ダイナミックに転調を繰り返すピアノと圧倒的な歌唱力で、コンクリート打ち放しのバブリーな会場に現出させてみせるのだ。これも私は涙を堪えてました。もう「矢野さん凄えなあ」という馬鹿みたいな感想しか直後は出てこなかった。矢野さんの数々の名盤を私は愛してきたけれど、このライヴの凄さは(ライヴ盤含め)いまだパッケージ化できていないのではないか。といまさら思わされてしまいました。いやー凄いもん観た聴いた。
矢野顕子vo,p
1.ひとりぼっちはやめた
2.朧月夜


リハーサルなので時間が来ればそのまま終わり。ステージに全員集合なんてこともなく、矢野さんが引っ込んでそのまま終了。この幕切れもなんだか清々しい。
「リハーサル」ということで改めて感じさせられたのは、弾き語り歌手の強さ。友部さんにしても矢野さんにしても、リハーサルなどなくとも楽器ひとつあればどこでも自分の音楽を届けられるという余裕があった。対して、バックのミュージシャンとの協調によって音楽を作っていくソロシンガー(大貫さん)やバンドマン(細野さん)の場合は、リハーサルがコミュニケーションの場であり、音楽の原形をその場で削り出していかなければならない。そこにはスタッフとの密な交渉もある。けれど、その交渉=コミュニケーション、果ては誤解まで含めて音楽を作るのは楽しいものなのだ。そんな音楽の生まれる場所の空気を、少しだけでもミュージシャンとともに吸うことができた。これが3000円とは何とお得な!
そんな「音楽の空気」を盤に封じ込めることのできるエンジニア・吉野金次さんの復帰のために、多少なりとも寄することはできただろうか。物販で購入したアルフレッド・コルトーのピアノ集(吉野さん企画制作による復刻)は、窓を閉めてスピーカーから音を出せる季節になったのでこれから聴こう。

追記 吉野さんに寄せた細野さんの一文
http://dwww-hosono.sblo.jp/article/1199935.html