勝田文『Daddy Long Legs』(集英社クイーンズコミックス)

Daddy Long Legs (クイーンズコミックス)
ウェブスター『あしながおじさん』の翻案である表題作が休刊間際の『YOUNG YOU』に掲載されたときは、もしやストーリーテリングのレッスンなのではと想像したが、*1あとがきを読むとそれに近い事情のようだ。実際、本書収録の他の作品を読むと、「ベタな恋愛物」をできる限り避けようとする作者の含羞が物語を徒に複雑化してしまっており、とりわけ「シンガポールの月」に至っては、「作者の持ち味」の範囲を超えて相当トリッキーなことになっている。編集としても作者としても、ここらで一考しようということになったのは無理もない。
そこでこの表題作だが、著名な児童文学である原作を子供時代に読んで、なかなか読み終えることができなかった。書簡体形式で書かれた原作は、当然ながら主人公のジューディの主観で描かれていて、読者は伝聞でしか彼女が触れる世界を知ることができない。これは子供の読者にとっては結構ハードルが高いのではないか(私がボンクラだったのかもしれないが)。*2そこがこの勝田版「Daddy Long Legs」では、主人公の少女と「あしながおじさん」双方の視点、心理が描かれているので、非常に見通しがよく安心して読める。正直これを読んで初めて「恋愛小説としての『あしながおじさん』」に出会ったという新鮮さがあった。「あしながおじさんって誰なのかしら」という謎解きは捨てられているにせよ、ストーリーテリングの訓練という意図は上々に達成されているといえる。
そしてもう一つ。「Daddy Long Legs」は昭和初期の日本の女学校に舞台を移しているが、このことは作品世界を身近なものにしているばかりではなく、表紙カバーに描かれた当時の女学生が好むような小物群や着物の柄、三つ編みの髪形などに、勝田文のガーリィなセンスがこれまでになく表出しているのだ。*3過去の日本という身近な異世界への適度な距離感が、現代ものでは照れが覆い隠してしまう、作者のロマンチックな部分を素直に表現させているのだろう。作者の資質としての含羞=知性は、ここでは美点となってベタになりきらない品の良さを加えている。この資質は倉多江美から川原泉佐々木倫子へと続く、少女漫画の知性派コメディの流れに勝田文が属していることの証だ。「Daddy Long Legs」はかつて倉多江美が描いたような「ファニーでロマンチックなメルヘン」へ進むような、勝田文の新しい方向性を期待させる。*4

*1:http://d.hatena.ne.jp/marron555/20050912#p1

*2:思いつきだが、たぶん児童文学では、作者が作品世界全体を俯瞰する超越的な語り手として現れるのが一般的な形式ではないか。そこでは読者が、作者という大人の庇護のもとで物語世界を旅するような安心感が得られるだろうから。

*3:この書影をお見せしたかったので、いつもは張らないamazonへのリンクを張りました。

*4:倉多江美なんて今読もうとすると大変なのかしら。