パールのようなもの

【SHINJUKU LOFT 30TH ANNIVERSARY “ROCK OF AGES 2006”】☆Remodel 80's☆
2006年2月10日 新宿ロフト
出演:パール兄弟サエキけんぞうvo/窪田晴男g/バカボン鈴木b/宮川剛ds)/鈴木慶一/KQLD (菊地成孔クインテット・ライヴ・ダブ 菊地成孔as,vo/坪口昌恭p/菊地雅晃b/藤井信雄ds/パードン木村<音響>)


サエキけんぞうプロデュースによる、80年代音楽シーン回顧イベント、といえば何となく一定のイメージを思い浮かべる人も少なくないだろう。だがしかし、会場はロフトはロフトでもプラスワンではなく総本山新宿ロフト、しかも日本の音楽シーンを支え続ける老舗ライヴハウスの創立30周年企画、何より「パール兄弟」が何年ぶりかでバンド編成で出演するという。相当に気合いの入ったセッティングだ。リアルタイムで彼らのライヴに接しなかった者としては*1パール兄弟」の生の姿に大いに興味があった。そして、サエキが選んだ共演者の顔ぶれにも。


最初に登場したのはKQLDこと菊地成孔クインテット・ライヴ・ダブ。
ジャズカルテットに加え、ダビイスト=音響担当のパードン木村をメンバーに数えて「クインテット」を名乗る。菊地のジャズプレイヤーとしての演奏を聴くのはこれが初めてだったが、アバンギャルドではない端正で美しい旋律と音色は、彼の伝統的な背景の確かさを窺うに充分だ。他のメンバーの演奏も大胆さよりスタイルに準じた禁欲性が際立つ。その音楽はダブというよりも、正統派のジャズそのものだ。そこにパードン木村が操作する音響効果が加わることにより、また菊地が腕のあるサックスプレイヤーではなく初々しい歌手としてのナイーヴな声を聴かせることにより、次第に正しいジャズから歪んだダブの側に逸脱していく。という目論見ほど逸脱の範囲は大きくなく、適度な奇妙さのトッピングも含め「ラウンジ・ジャズ」と呼ぶのが相応しいように思った。「ラウンジ・ジャズ」が悪いはずもないが、鮨詰めのオールスタンディングの会場で聴くものではなく、人いきれと疲労でフロアから退避してしまった。


続いてサエキ・慶一・菊地により、80年代を振り返るトークコーナー。
誰よりも先に人に知られていない音楽を発見し取り入れることが最重要とされる、80年代は情報戦の時代だったことが語られる。当事者であるサエキと慶一はさておき、当時は観客だったという菊地の発言は多くなかった。サエキとしては80年代フォロワーとしての菊地を期待したのだろうが(「住居が会場に近いから来てくれるだろうと思った」と表向きには言うものの)思惑は半ば外れたのではないか。コーナーの最後に、80年代を象徴する存在として慶一が「トレヴァー・ホーン」、サエキが「マーク・アーモンド(ソフトセルのほうの、って当然か)」、菊地が「アダム&ジ・アンツ(笑)」を挙げていた。慶一の答えもどうかとは思うが(アンディ・パートリッジとかトニー・マンスフィールドとかじゃないのか)、菊地にしても韜晦抜きに答えたなら、彼の80年代は「ビル・ラズウェルとフレッド・フリス」あたりなのでは。ロックとフォークのない80年代。


そして、ついに登場したパール兄弟松永俊弥dsこそ欠くものの、限りなくオリジナル編成に近い形での登場に、年齢層高めの観客がどよめく。演奏される曲目も「快楽の季節」「鉄カブトの女」「バカヤロウは愛の言葉」などなど往年の名曲を連発。「メカニックにいちゃん」の原題が「メカニックやくざ」で、梅毒で鼻がもげるサイボーグやくざの歌だったなど、この日の解説で初めて知った(三池崇史フルメタル極道』より早い!)。そんなサエキの着眼点の鋭さは衰えることなく、スパムメールに取材した新曲「スパム天国」も、芸風といいテンションといい旧曲とまったく違和感がない(「ダンス天国」の引用にウィルソン・ピケットの死を思った)。窪田と鈴木による、幾多の現場で鍛えられた、引き締まっていてなおかつグルーヴィな演奏が最高だ(実質はトリオ編成であることも再認識)。スティックの生演奏を見るのは6人クリムゾンの日本公演以来か(笑)。コンセプトメーカーで歌は素人、と当時は思えたサエキにしても、キャリアを重ねたその歌声は、癖がなく艶やかなクルーンの資質を明らかにしていた。
とはいえ、優れた楽曲が優れた演奏技術によって生で演じられるのを前に、浮かんでくる感想は「普通に上手いバンドだったんだなあ」だった。かつて、テレビのブラウン管越しにさえ伝わるサエキけんぞうのフリークス性、異様さはこの日のステージからは感じられなかったのはなぜだろう。
その理由の一端は、ゲスト鈴木慶一パール兄弟とともに演奏したのがムーンライダーズ「モダン・ラヴァーズ」と、トーキング・ヘッズサイコキラー」であったことで知れる。作曲の才能も演奏技術も「持たざる者」の天然の表現である(とされる)「パンク」に対し、正しい教養と技術を備えた者があえてその正しさを歪めようとする人工美が「ニューウェーヴ」だとすれば、デヴィッド・バーンは歪みを演じようとするその身振りにおいて「ニューウェーヴ」そのものだ。その意味では冒頭の菊地成孔の演奏態度もニューウェーヴのそれに通じる。デヴィッド・ボウイからブライアン・フェリー、そしてバーンへと続く、鈴木慶一高橋幸宏にも影響した「歪められたクルーン」の、サエキけんぞうは正嫡といえるだろう。叩き上げのミュージシャンがコンセプトの力でオルタナティヴを演じることは、YMOやライダーズなど日本のニューウェーヴの一面でもあり、その「コンセプト」を発見し演じ切る戦略性が評価に直結した。ハルメンズメトロファルス、人種熱などのコアな出自を持ちながら、演奏家としての技量と音楽の知識を備え歌謡界への楽曲提供やスタジオ仕事など「業界」にも進出したパール兄弟は、「コンセプト」と「戦略」の時代であった80年代を象徴するバンドだったといえる。そのパール兄弟サエキけんぞうに往年のオーラが感じられなかったとすれば、80年代も遠くなりにけり、ということでしかないだろう。「コンセプト」の衣を脱いだパール兄弟は、高いミュージシャンシップを隠さない、優れた現役のロックバンドだった。この日のために再結成した手塚眞らのダンスチーム「リーマンズ」の共演も、当時の無気味さはなくただ懐かしく微笑ましかった。

*1:サエキと窪田の「2人パール兄弟」は見たことがある。
http://www7.ocn.ne.jp/~marron/diary0401.html#040130