中井英夫『中井英夫戦中日記 彼方より』(河出書房新社)

何せまともに読んだのは『虚無への供物』のみ(しかもほとんど忘れている)、『とらんぷ譚』は途中で挫折といううすーい縁なので、本書を作品解釈のサブテキストとして読むことはできない。したがって太平洋戦争中に書かれた一青年の日記として読んだのだが。大本営の市ヶ谷参謀本部情報教育係という希有の立場に応召されながら、職務の実情にはほとんど触れず、世界の現状や国家の未来を論じるでもなく、生活の機微を書き記すでもなく。ただひたすら軍隊と軍国主義を呪い、母の死を嘆き自己嫌悪に陥り、文学に憧れ詩をしたため芝居に通い、さらには性欲を持て余す(おまけにホモ傾向)この異様な人は何なのだろうと思った。いや内容そのものはそれほど異様ではない。むしろブログ時代の現在では、特にはてなダイアリーではありがちなサブカル鬱日記に通じる部分さえある。ただそれが国家総動員体制の最中、しかもその中枢にある人間がひたすらサブカル鬱日記を書いていたということが異様なのだ。
奇しくも中井英夫と同い年という山田風太郎の戦中日記とどうしても比べたくなる。両者は同じ学生でありながらも、風太郎は医学生として応召を免除され、中井は軍の中枢で働いていたという立場の差が、日記の内容にもさまざまな違いを生んでいる。風太郎は戦争に参加せず傍観者である自分に後ろめたさを感じるが、中井は反戦主義者の自分が嫌々に軍に関わらされたという被害者意識を抱いている。風太郎は民間人の立場から庶民の心情や生活感を掬い上げており、そのことが風太郎日記を一級の資料にしているが、大本営で働く中井の日記にはほとんど生活描写は登場せず、職務の具体的内容にも一切触れず、自己の内面との対話が延々と記録される。そのため中井文学研究のほかに資するところはやや乏しいかもしれない。まあ軍務内容に言及しないのは機密上当然ではあるが、そのくせ反戦的な言辞は綿々と綴られているのだから、実際関心がなかったのだろう。
もっともそれは批判に値しない。肉体も精神も人間のすべてを戦争に動員しようとする強力な体制下で、一切の社会を閉め出した純個人の内面世界を守ることは、過酷な戦いであったのだろうから。軍服を纏いつつも、一人だけ軍歌の合唱に参加しない小学生に心でエールを送り、空襲中の防空壕の暗闇で同僚の美青年を抱き寄せ唇を奪う中井英夫は、強力にアンチヒーローのオーラを放射している。戦後20数年を経て書かれた自註で中井は

口笛を吹きながら下駄をひきずってゆく奴が、こんなときにも確かにいた、いてくれたということ。それを戦後日本人は故意に黙殺しようとしている。

と記している。これは、軍国主義一色に洗脳された国民が敗戦によって一夜のうちにその志操を翻したかのような、戦後流布された民主主義の伝説に対する強力な反発が書かせたものでもあろう。ただ、中井日記に限らず我々が読むことのできる戦中日記は、インテリにして日記を書けるだけの日常性を維持できたという特権的な立場から書かれたものが多く、それを当時の人々の、知識層に限っても一般的な心情とするのは妥当といえないように思う。まして大本営にかの中井英夫がいたというのはいかなる天の配剤か。やはり本書は希有な人が希有な状況にあってものした、希有の日記として読むしかない。