源氏鶏太『川は流れる』(春陽文庫)

失恋の痛手を負い自殺しようと阿蘇を訪れたOLの志奈子は、温泉芸者の染弥に出会い救われる。染弥もやはり失恋の痛手から自殺を図り、命を取り留めた過去があった。二人は意気投合し、志奈子は大阪へ、染弥は芸者を辞め本名の久恵に戻り東京でバーのマダムとなる。さらに、二人をめぐり様々な男たちが恋の鞘当て合戦を繰り広げるのであった。
源氏鶏太は昭和30〜40年代に「サラリーマン小説」の書き手として活躍した作家。本作は昭和31〜32年に書かれたものだが、当時の経済や社会の情勢が判るわけでも、具体的な仕事の内容が描かれるわけでもない。今の企業小説のようなものとは違う。
むしろ『川は流れる』は恋愛小説に属する。男たちはヒラも役付きもこぞって「いかに意中の女を獲得するか」に血道を上げ、二人のヒロインたちも好きな男と結ばれることを第一の幸せと考えている。特に志奈子は感情の赴くままにあっさりと会社を辞めてしまったりして、仕事への執着はほとんどない。女の幸せは結婚であり、キャリアなどという概念はなく、男には必ず敬語で話す。世界の成り立ちが今より単純で牧歌的だったのだろう(それがよかったとは思わないが)。物語の展開もまた、新聞小説という媒体にもよるものか、登場人物たちが数々の偶然の出会いによって動かされ、ハッピーエンドに向けてのんびりと歩んでいくおおらかなものだ。昔の小説といえばそうだが、それでつまらないというわけでもない。松竹あたりの古い日本映画に描かれた会社やバーの様子を思い浮かべつつ、古風ながらも結構生臭い男女のやりとりを楽しんだ。文章も会話部分が多く軽快で、2段組540ページという大部にもかかわらず実に読みやすい。読んでいる間はそれなりに楽しいが、読み終わればきれいに忘れてしまう後口の良さも美点か。
古本屋の100円棚で見つけなかったら読むこともなかった本だが、こうした文学史には残らない人気小説には、当時の「普通の人々の価値観」に触れる面白さがあるかもしれない。それは、特殊な人間の特殊な内面を描いた純文学作品からは読み取りにくいものだろう。