老いてはすべてに従わず

mftさんのお誘いで酷暑のさなか新宿末廣亭へ。大学では近世文学を専攻したにもかかわらず、寄席で落語に触れるのはこれが初めてだ、というのも考えてみりゃ随分な。出演者は(多少変更がありつつも)このとおり豪華な顔ぶれ。いつもは閑古鳥が鳴くという寄席も、正蔵小沢昭一といった出演者の人気か『タイガー&ドラゴン』の効果か、2階席まで埋まり立ち見の出る盛況。しかも、客のほとんどが60代以上であろう老人たちだ。この状況がもう充分面白い。
さて、雑駁に言えば落語とは江戸時代の庶民生活を描いた馬鹿話である。それを現代人である咄家が現代人の客に通じるように演じるものだから、時に役柄と演技者の素が交差したり、過去の中に現代が入り込み、原型と変型がせめぎあって生きた面白さが生まれるのだ。
その点、名跡を襲名したばかりの正蔵はプレッシャーが大きかったのか、古典を演じようという意気込みが強すぎて、やや硬直した印象を受けた。子供が騒いでいたのも辛そうだったのだが、正蔵ではなく「こぶ平」なら気楽にあしらっていたのではないか。やはり名家の出である花緑の闊達自在な語りとは対照的だった。
だがしかし、そうした若手の奮闘より何より強烈に刻み込まれたのは、演者観客共々の圧倒的な老人力だ。特に印象的だったのは入船亭扇橋の芸で、もう滑舌とかの次元を超えて何を言ってるのかよく判らないわ、あまりにも話の内容がくだらないわ、本当にぼけているんじゃないかと思わせる可笑しさが生まれていた。おそらく目玉だったろう小沢昭一がまた強烈。「小沢昭一的こころ」のお囃子に乗って登場、大正から昭和に至る演歌「ノンキ節」「オッペケペ節」「パイのパイのパイ」「カネカネ節(だっけ?)」など声も嗄れんと朗唱し凄まじいパワーを見せつけた。いや大したもんだ。客も客で座敷席で世間話はするわ、オチを先に言うわ、一緒に歌うわのリラックス加減に、古典芸能ではない「生きた演芸」の楽しみ方を教えられたような気がした。ひょっとしたら間違ってるかもしれないが。
その他、ギター漫談のぺぺ桜井(色川武大が紹介してなかったっけ)や、北千住〜埼玉サベツ落語の円丈、紙切り芸の正楽など、テレビじゃ見れないライヴ感溢れる芸がまた実に面白く。思えば落語も色物も、アナクロを自明とするところから鍛え上げ洗練したことでかえって現代性を獲得しているのかも知れない。それに比べると刺身のツマ的に登場した数組の漫才はただ無惨というか、単に古さだけが際立っていた。テレビに出る漫才と、寄席にしか出ない漫才の違いって何なんだろう。
何にせよ2700円で5時間の長丁場を飽きることなく楽しめたというのは意外だった。しかも飲み物食べ物持ち込みだし。これはまた足を運んでみたくなるよ。帰りは豆腐料理の店で軽く締め。mftさん良いものに誘ってくれてどうもでした。