魔法のラッキョウ

アンテナの上に上がっているサイトから順につらつらと流し見するうち、暴力的にLANケーブルを引き抜きたい衝動に駆られ、部屋を飛び出し深夜のファミレスへ。読みかけで放り出していたクリストファー・プリースト『魔法』(ハヤカワ文庫)を開く。いつしか物語の魔力に引っ張られ残りのページはどんどん減少、2時間でコーヒー3杯を消費し読了、途方に暮れる。
無駄なことの例えとして「ラッキョウの皮剥き」という比喩が用いられるが、普段は誰もラッキョウの皮を剥こうとは思わない。それが皮であるという認識もないままに次々と口に放り込むだけ。「ラッキョウは皮の集まりである」と意識した場合にのみ、とめどなく皮を剥き始め最後に残るのが空虚であることに気付く。気付くも何も、空虚であることは自明であり、「皮」は「実」であり「実」は「皮」である。それが皮だろうが実だろうが、旨ければ何の問題もない。「ラッキョウって実は皮だったんだ!」という世界観の転倒がもたらす驚きは確かにあるのだが、正直今はラッキョウラッキョウであることを考えながらラッキョウを食べたいと思えるような体力に欠けるのだった。
帰って郵便受けを埋め尽したチラシの中から請求書を発掘。NTTから料金払わねば契約解除との通告があり、そのままコンビニへ振り込みに。空虚なはずの実の重さに押し潰され。もはやアンコも出やしねぇ。