はたして双子ブームは来るか

すでに妹は「別に妹じゃなくてもいいじゃん!」という程度に一種の言霊と化してしまったが、双子も萌え属性としてそのような一般性を得られるかというと疑問だ。何故ならミステリの人物入れ替えトリックのように*1本来ストーリー展開上のギミックとして要請されるのが「双子」だからである。あるいは逆に双子の特性によって、物語の類型は予め一定のパターンに収まってしまう。
1.外見が同じだが中身が違うことによる劣等感、混乱、三角関係
(どうして同じ顔なのに出来が違うんだろう…)(私たちのどっちが好きなのっ!)
(区別がつかないなんて本当は好きじゃないのねっ!)
2.双子同士の恋愛→シャッフル
(本当に好きだったのは、実は…)(ごめん、キスしたの本当は兄貴じゃないんだ)
3.男女の双子→兄妹(姉弟)近親もの(えー
(同じ日に生まれたのに、ずいぶん違っちゃったね、私たち…)
…何か「いのちのはてなダイアリー」を呼びたくなってきたが気のせいか。
ま、まあ、てな具合に話のヴァリエーションが効かないのである。ていうか私は思い付かん。この限界を「双子物量作戦」で突破したのが(したのか)『双恋』だが、奇手だけにこの先「双恋もの」というジャンルが成立する可能性は薄い。しかし双子について今まで考えたことなどあったか。これも双子塚の呪いであろうか。
さらに、「妹」「双子」に続いて顕在化しつつあるのが「ママン」だ。折しもみうらじゅん安斎肇の『TR2』(J-WAVE、火曜深夜)では「おかん」という新企画が始まったが、これは母親の「女」を感じさせられた状況を投稿するという、男子の心の暗部をバールのようなものでこじ開ける恐るべきコーナーだ。マザーファッカー必聴!

*1:今時そんなベタなトリックもないか。