『マインド・ゲーム』

ネットを眺めていたら、見逃していた湯浅政明監督『マインド・ゲーム』が吉祥寺バウスシアターでレイトショー、しかも初日の今日は小黒祐一郎司会で湯浅監督と細田守監督のトークショー付き! 早速自転車を飛ばして行って来た。観た。凄っげー面白かった!けど疲れた。感想は後で。→書いた。以後感想。


ヘタレで芽が出ない漫画家の西は、偶然に初恋の女の子・みょんに再会する。みょんの実家の焼き鳥屋で旧交を暖めたのも束の間、借金を取り立てにきたヤクザに蹂躙され、西は何もできないまま無惨な死を遂げる。来世などなくそのまま消えてしまう道を神様に示され西は一念発起、現世へと必死に逆走し、今度は逆にヤクザを射殺。みよんとヤンの姉妹を連れ、壮絶なカーチェイスを振り切った逃走の末に、海に落ちた車ごと3人は巨大な鯨に呑み込まれてしまう……。
普通の映画なら、主人公たちの逃避行と追っ手のギャングとの打々発止の戦いなり、あるいはロードムービー的な展開が予想されるところだが、この映画では何と序盤を除き、ほとんど鯨の腹の中が舞台となってしまう。ひどく歪な構成に見えるが、何の問題もない。これは普通の映画ではなく「アニメーション映画」だからだ。
鯨の体内で30年間を過ごしながら、それでも生き続けた老人の生命力に触れ、絶望しかけた3人は再び命の炎を燃やし始める。ひたすら食い、遊び、踊り、走り、セックスする。貪られる御馳走の山、巨大な竹のペニスケースを振り回すケチャダンス、ヤンのボディペインティングで描かれる驚き盤(フィルム以前の「動く絵」の玩具)など、膨大なアニメ技法とイマジネーションを駆使したサイケデリックな色と形の乱舞は、発端の陰惨な暴力と死のリアルな描写とは対照的に、ひたすらに生命の謳歌に奉仕する。アニメーションが想起すべきはタナトスではなくエロスなのだと、監督湯浅政明はじめ全スタッフは、映像そのものをもって雄弁に訴えているようだ。
停滞しているが安楽な、しかし必ず死が待ち受けている鯨の体内から脱出し、猥雑で不確定な、だからこそ楽しい外界へと脱出しようとするクライマックスは、それぞれの人物の再生への意志と重ねられて圧倒的だ。効率と見た目のリアリティを重視する東映流ではない、キャラクターとアニメーターの内面から沸き起こるような水の描写が素晴らしい。ラストで提示される、各人物の現在を形作る動かせない過去のイメージと、あり得べき多様な未来像とは、マルチエンディングよろしく観客に解釈の余地を残す。「恋人が死んじゃってとにかく泣ける」というような明解なカタルシスはここにはないが(そのため興行的には苦戦しているようだ)、絵の力に全てを委ね、象徴イメージによって「人間が力一杯、よりよい人生を目指して他者とともに生きようとする」という普遍的なテーマに挑んだ『マインド・ゲーム』は、映像の迫力が主題を体現して強い生命力に満ちているのだ。全編観終えての疲労感は、食欲が満たされた満腹感と、性交後の虚脱感に似ているかもしれない。
このような、整合性ある筋立てを順繰りに絵解きするだけの「映像作品」とは志の違う「アニメーション」が、紛れもなく日本の現場から生まれた、ここからしか生まれないものであることが嬉しい。山本精一の音楽も素晴らしいのだが、これはサントラよりもDVDを買って何度でも観たくなる作品だ。
湯浅政明細田守トークショーは、上映前に行われたため内容に突っ込んだ話題はなかったのだが、観客に作り手の意図を押し付けず余韻を持って劇場を出てもらおうという配慮だったのかもしれない。細田監督は某ゴム人間アニメの劇場版を製作中。上映時間は90分の長編だとか。期待。湯浅監督の新作はテレビの仕事のようだが、細田監督によると机が近いらしい……ということは東映なのか? ともあれこれも期待。