中島らも『水に似た感情』(集英社文庫)

作家の文句三郎(通称モンク)は、友人のギタリスト・ソト杉丘とのテレビ番組収録のため、バリ島へ飛ぶ。バリの音楽や習俗、撮影のトラブル、酒、大麻、神秘体験。帰国後の躁病発症、奇行、入院。回復後のバリ再訪問、さらなる神秘体験。など、ほぼ作者の実体験が小説の結構を無視して冗長に語られる。
この時期の中島らもの小説は、無頼派、奇人という外部イメージを自ら模倣するかのような内容が予想され、全く読んでいなかった。本書を読んでみても、そうした予断は覆らない。かつての水際立ったストーリーテラーぶりは見る影もなく、酒と大麻と心の病が生んだたわごとに延々と付き合うのは苦痛でもあった。
ただ、本書が「小説の態をなしていない」(『噂の真相』評)こと自体には、ある可能性があったのではないか。作者の存在を消し去った「物語」ではなく、自身を物語化する「私小説」でもなく、作者自身の生活そのものを諧謔やホラを交えつつ淡々と語り下ろす「噺」へと、中島らもの志向は示されていたように思う。「物語」が書けなくなったゆえの窮余の策だったのかもしれないが。
だが本書ではまだ、作者の自分語りが「噺」として煮詰められるには至っていない。描かれる対象としての中島らもが、対象化されないまま濁った主観の中に留まっている。「その朦朧ぶりも実録の面白さ」と言い切れるような奇書ともなりえず、むしろ「作家らしさ」を守ろうとする自意識が「水に似た感情」という凡庸な題名にも現れて、中途半端な印象を与えている。
中島らもがもう少し長らえていたら、そんな自意識も希薄になり、体力と野心の衰えとともに行状も穏やかになって、非凡で奇妙だが味わい深い「噺」の語り手になったのではないかと惜しまれる。晩年の作にそのような成果は現れていたのだろうか。