魔法のマコちゃん

Magical Power Mako SUPER PROGRESSIVE PARTY
2006年12月16日 秋葉原dress TOKYO
出演:Magical Power Mako Super Progressive Band
マジカル・パワー・マコg,key
吉田達也ds
桜井良行b
津田治彦g
大森俊之key
小林梓弓vo,fl
語り部ミウvoice
魔ゼルな規犬 馬Rap
あなるちゃんvo
神沢敦子 痙攣パフォーマンス
QPT & Shimi パペット人形劇
Mandog 宮下敬一g/榎本隆幸b/渡邊靖之ds
呼吸するジャスミン 小林梓弓vo,fl


まだ10代の若さでマイク・オールドフィールドのような一人多重録音でサウンド・コラージュ的な傑作をものし、現代音楽方面からも絶賛を浴びたというマジカル・パワー・マコ。その70年代の天才ぶりをリアルタイムで知るわけでもなく、実際に音を聴いたこともない伝説の人が、吉田達也をはじめとする現在の日本アンダーグラウンド・シーンの精鋭たちとともに演奏するという。伝説の真価を確かめに、というより興味津々で秋葉原ライヴハウスに赴いた。


●呼吸するジャスミン
薄暗いステージに小林梓弓が現れ、アンティーク調の電灯を灯すと、長い黒髪に白いシンプルな薄物のワンピース姿が映える。チープな電子音や効果音を背負って、薄い服からはみ出す肢体をくねらせながら、囁くように歌い、エフェクターで歪んだフルートを吹く。ルーツにはフレンチロリータを感じさせるが、強調された少女幻想と肉体との違和感が、お洒落で清潔なポップスを逸脱して限りなくアングラ劇に近づいていく。その過剰さを受け止めるにはある種の器が必要だが、この場にはとても似付かわしい。この日マコと共演したパフォーマーには、それぞれ似通った過剰さがあった。


●Mandog
表情も体も動かさずにスティーヴ・ハウを思わせる粒立ったピッキングで弛まず指を動かし続けるギター。ファズで歪められエコープレックスで飛び回るフリーキーなベース。相当の手数を繰り出しながら一定のペースを保って疾走するドラム。各プレイヤーが優れたテクニックを備えながら、冗長なソロやキメの展開など一切交えない。即興フレーズをディレイで重ねてテクスチャーを作りながら、一つの軌道(グルーヴ)をひたすら走り続けることで、トランシーな快感がクライマックスに向けて増幅されていく。「ジャーマン・ロックのマナーで演奏するイエス」と言ったら少しは伝わるだろうか。


●Magical Power Mako Super Progressive Band
チャネリングで宇宙と交信するなど、奇矯な人のイメージがマジカル・パワー・マコにはあった。実際、長髪を後ろで束ね、サイケな服装で現れたマコには、そうした先入観に相応しい雰囲気が漂ってもいたのだが。
まず一人でステージに上がり、静かにピアノで奏でられる美しいメロディには何の外連もない。そのキーボードやギターの演奏には特別なテクニックはないものの、聴けば「この人は本物だ」とわかるミュージシャンシップの塊が確かに存在していた。その感触は吉田達也津田治彦らが加わっての演奏でも変わらない。70年代の音楽を聴くたびに、その成熟と確かな技量に唸らされるのだが、ことプログレッシヴ・ロックに関しては70年代はひどく未熟だった。むしろシーンが顕在化/成熟するのは、80年代に人知れず蒔かれた種子が発芽し結実しはじめた90年代に入ってからだろう。70年代には孤高のエキセントリックな天才という居場所しか与えられなかっただろうマコの音楽は、現在の優れた後進との出会いと見識ある聴衆を得て、ようやく正しい着地点を得たのではないか。高い技巧と個性を備えたプレイヤーたちによって演奏されるのは、ドメスティックな匂いのない欧米流のインプロ/サイケ/プログレであり、何より無性に格好良いロックだった。いわゆる日本語派/ウェストコースト派ではないコピー派(無論「はっぴいえんど史観」に基づく蔑称)/ブリティッシュ派の日本のロックが夢見た理想の形と言えるかもしれない(フード・ブレインの完全体みたいな)。マジカル・パワー・マコはまさしく日本のプログレッシヴ・ロックの正統だった。まずそこが大前提だ。
その大前提がある上で、マコは「正しいロック」の枠組みからの逸脱を求める。高度な技の上に重ねられる前衛は、技量不足を誤魔化すための方便ではなく本物の輝きを湛える。巫女の出で立ちで祝詞を上げる語り部や、いかれた衣装を纏って奇声を発する巨大な女が、作為でもパロディでもなく存在できる「場」。吉田達也の凄まじいドラムソロと渡り合うように、不穏な落書きに塗れた馬の首を被った男が突然ステージで異言を発しはじめた瞬間には本気で鳥肌が立った。そして、こんな畸人の宴の後ろで演奏する名うてのミュージシャンたちは、実に楽しそうだった(まあ吉田達也は立派に畸人かもしれないが)。70年代アングラのリアルな精神性が、現在の成熟したシーンの中に再現される。それこそがマジカル・パワー・マコと共演者の出会いが生んだ化学反応であり、マコの周囲に発生する「場」の力なのだろう。


アンコールの前に、このライヴのエグゼクティブディレクター・竹場元彦による挨拶があり、そこではマコや今回の出演者たちに共通して縁のある一人の男のことが語られた。ここに自分たちがこうしているのは、その男のおかげだと。
そして、新月のヴォーカリスト北山真が「光るさざなみ」を声を振り絞り歌い出す。ここは北村昌士の追悼の場でもあったのだ。北村の霊はマコのマジカル・パワーによって降りてきたのだろうか。