よしながふみ『大奥』2巻(白泉社)

2時間無料のポイントがたまり漫画喫茶で読みました(駄目だ)。
1巻を読んだときは「すごくよくできた面白い漫画」とは思ったけれど、それ以上の感想はなかった。男女が逆転した大奥ものという発想が、ディテールの詰め方も含めて「性と政治」というテーマへの理知的なアプローチに見えて、情に訴える部分が少なかったのだ。その情に訴える部分も「権力の都合で引き裂かれた男女」という非常にベタなものだし、時代劇のパロディとして読めてしまう部分が、面白さでもあり限界であったようにも思う。反転像ではあってもそれはよく知る世界だった。
2巻を読んだ今なら、なぜ最初の章がそのように描かれたのかがわかる。1巻の舞台となった8代将軍吉宗の時代には、赤面疱瘡による男子数の激減も安定し、担い手の主体が男女逆転した社会の有り様も制度心情両面で固定化されていた。したがってその世界は、奇妙ではあっても安心して触れられるものだった(その取りつきやすさが導入部では求められる)。それが2巻の3代将軍家光の時代では、奇病出現の初期にあって男子絶滅という深刻な社会不安があり、その状況で「男性社会の維持」という大義を全うするにはより多くのものを犠牲とすることが正当化される。その圧力と緊張の強さが、ドラマのテンションを否応なく上昇させているのだ。
その中でも、3代将軍家光のキャラクターの魅力は非常に大きい。徹底的に「女であること」を傷つけられた彼女の存在は「囚われた少女の救済と解放」という古典的な主題に繋がって、旧い少女漫画脳を直撃する。家光かわいいよ家光。だがそこには「かわいい」=「かわいそう」という、「萌え」に潜む権力性があるのも確かで、男性読者としては後ろめたくもある(吉宗の「漢っぷり」が女性読者にカタルシスを与えたであろうこととは対照的に)。
ともあれ、『大奥』が反転した時代劇という図式を越えて、社会の圧力に傷つけられた男女の恋という、王道の少女漫画としての姿を露にしたことはとても喜ばしい。『リボンの騎士』や『ベルサイユのばら』の正嫡ともいうべき存在感がそこにはある。そういえば『リボンの騎士』では、自分に偽りの男装を強いた「男子しか王位を継承できない」という法律を、サファイヤ姫は自ら破棄したのではなかったか*1
そんなわけで単行本ちゃんと買おう。

*1:思い出してみたら違うような。確かサファイヤが救い出した王様が、拉致される前に考えていた新法を発布するんだっけ(原作にはなくアニメ版で加えられたと思う)。『大奥』の展開は当然ながら『リボンの騎士』を乗り越えていくことになるのだろう。