西岡たかし+泉谷しげる『ともだち始め―ふたりの詩と唄―』(73年)

三鷹パレードにて4枚1050円の1枚。西岡たかしと泉谷しげるの2人に、ゲストの中川イサトを加えた(他にピアノで渋谷毅が参加)アコースティック・セッション2枚組。西岡と泉谷がそれぞれ1枚ずつを歌手/ディレクターとして担当しているが、作品全体を実質的にプロデュースしているのは西岡ではないかと思われる。
五つの赤い風船というグループに私はきちんと向き合ったことがなく、いくつかの代表曲しか知らないのだが(それこそ「遠い世界に」とか)、その貧しい印象では「微温的メッセージ・フォーク」というものでしかなかった。他の「関西フォーク」勢がえげつないまでの自己主張を持っていたのに比べると、風船の歌は攻撃的なものではなかったが、静かで優しい「平和」や「反戦」の歌に大きく共振する、時代の聴衆の存在があるという前提に支えられていたのではないかと思う。
その五つの赤い風船が解散し、「メッセージの時代」の終わりを通過したこのアルバムの歌と演奏には、「ぼくら」への楽天的な期待は影を潜め、代わって自分との孤独で緊密な対話がある。それが閉じられているというのではない。むしろ孤独な呟きの密やかさをもってしか、同じように孤独な聴き手と触れ合うことはできないという「儚いコミュニケーション」への願いがここでの西岡の歌には込められている。そのような内省的な歌を支える音はシンプルだが、西岡のマルチ・プレイヤーぶりもあって決して暗く単調ではなく、ほの明るく淡い色彩感がある。フォークというよりアコースティック・ブルースともいうべき内容は、その後の「関西ブルース」との連続性を感じさせるものだ。風船の同僚だった中川イサトの貢献が、音楽に空間的な広がりを与えている。だからというわけではないが、本作は中川の『お茶の時間』にとても近しい空気で満ちている。その空気は現在にあってもとても新鮮だ。
西岡サイドへの言及が多くなってしまったが、対する泉谷も西岡の空気に感染したのか、いつもより内面的な丁寧な歌いぶりに聞こえる。泉谷の名曲群のアンプラグド集という趣もあり、「春夏秋冬」や「春のからっ風」のようなお馴染みの名曲の名曲たる所以が、ギター弾き語りのシンプルな味付けによって改めて心に落ちてくる(こちらでも中川イサトが活躍)。サディスティック・ミカ・バンドの強烈な演奏を抜きにした「おー脳」が、それでも充分な説得力とドライヴ感を伝えてくることに(泉谷のギターの確かなリズム感にも)改めて唸る。「自殺のすすめ」のような、内向的な自己省察のループから不意に外れた思いの弾丸が、加速されて聴衆に向かっていく攻撃性は泉谷の大きな魅力だが、それは本作のような静かな歌の中にあってより光るもので、後年の乱暴な歌いぶりは様式にはまりこんでいるように思えてしまう。ラウドな音で絶叫すればロックだというのは、フォーク出身者にありがちな思い込みではないか(あるいはそれこそが、フォーク出身者だから感じられるロックのシンプルな本質なのだろうか)。そういえば「ブルースを歌わないで」は有山じゅんじも歌っていなかったか。ここにも関西の音楽風土との共振があるのかもしれない。
ラスト2曲は泉谷・西岡・中川のセッション。西岡が4リズムの全てを多重録音した「二度とない人生だから」のアーシーな演奏、「陽が沈むころに」にマリンバを入れるセンスなど、西岡たかしという人の才気煥発ぶりはそれにしても凄い。この人の音楽にもっと触れてみたくなった。

ともだち始め (紙ジャケット仕様)

ともだち始め (紙ジャケット仕様)