ベリーベリーベリー

スリーベリージャム・セッション
2006年6月4日 新宿NewBury
出演:福岡"ブルーベリー"史朗/大久保"ストロベリー"由希/一色"ラズベリー"進


BOXCOX福岡史朗レムスイムの大久保由希、ジャック達の一色進という各バンドのリーダーたちによるセッション。対バンを繰り返すうちに「一緒に何かやろう」と意気投合したという。それぞれに魅力的なバンドの(BOXCOXはまだ知らないのだけど)強い個性を持ったリーダーたちの組み合わせということで、興味を惹かれるライヴ企画だった。
最初は福岡g、大久保dr、一色bという3ピースバンドとして登場。狭くてコージーなライヴバーの、さらに狭い一画にバンドが押し込まれている様相が楽しい。3人が音を合わせながら、それぞれの持ち曲を順番に歌っていく。福岡のフィンガーピッキングが生々しいソリッドなロックギターと、メロディアスで音数多いフレーズを指1本で弾き出す一色のベース(格好良い!)、ジガブーとチャーリー・ワッツが結婚したような、大久保の軽やかに弾みながら転がるドラム。「普段は上手い人に囲まれている3人が(バンドから離れて)一緒にやったらどうなるか、非常にスリリング」と一色は言うものの、テクニシャンではなくても各人が独自の持ち味を持った良いプレイヤーであることが、演奏を聴けばわかる。
にもかかわらず、3人の音が縒り合わさってグルーヴが紡ぎ出されることはなかった。各人の持ついわばリズムの訛りが、ひとつのバンドサウンドとなることを許さないのだ。特に一色の英国訛りのベースと、大久保の米南部訛りのドラムの組み合わせは水と油。一色進はレムスイムの内田典文よりずっと上手いベーシストだけれど、レムスイムの逞しくうねるグルーヴは一色・大久保のリズム体からは生まれない。それは後半のギター3本の組み合わせでも同様で、福岡史朗と小見山範久が2本のギターで表現した豊かな色彩感は、3本のギターをもってしても描き出せなかった。優れて個性的なミュージシャンの組み合わせが、必ずしも「バンド」になるわけではない。そこにロックの不思議と魅力があるのだろう。この日の演奏では福岡の曲が最もバンドらしい音になっていたが、それは福岡の音楽がストーンズ的なロックンロールの共通言語を多く含んでいるからだと思う。
ただし、リズムの訛りではなく「声の違い」となるとまた話は別。福岡のクールで乾いた声、一色の甘く湿った声、大久保の陽気に弾む声。どんなにその声の質が違っても、それらが代わる代わる立ち現れまた重ねられると、むしろその違いの大きさが、決して一人では作れない共同性の魅力を生み出す。一緒に歌うということの力は大きいという、当たり前のことに改めて気づかされた。
このセッションライヴは今後も続けられるという。回を重ね「同じ釜の飯を食う」うちにそれぞれの訛りは均されて、より「バンドらしい」佇まいになっていくのだろうから(そんなに何度もやらないと思うけど……)この日観たのも「いかにしてバンドはバンドになるのか」という成長記録のようなものかもしれない。そんな発見も多い刺激的なセッションと、超面白い一色進のMCとで、総合的に満足度の低くないライヴだった。