風がなけりゃ ねぇ船長
2月1日付で新聞を止めた。愛想ではなく金が尽きたのだ。もともと熱心な読者ではなく、まったく読まない日さえあった。結局「毎朝新聞が届けられるような世間」との接点を保っていたかっただけなのだろう。ただ、それだけのために月々4千円は負担が大きすぎる。
たまたま訪れた集金人に宅配停止の意を告げた。「もうお金を払えなくなりました」という、これ以上ない説得力ある理由を提示されて、人の良さそうな小太り眼鏡の集金人は寂しそうだった。私も寂しい。手元に残った1ヶ月分の古新聞は、貴重な資源として雑巾やテーブルクロスや屑籠に利用しよう。最後の一枚で兜を折るのもいいな。
ウェブ日記は人生のログだから、と、ブログを更新し続ける理由を述べる人がいる。logというのは直訳すれば航海日誌だ。その航海日誌を、凪いだ大海の中心にあって動かない船の上で書き続ける。日々移り変わる空や海の色、雲の形、遠くから流れる風の匂い。たまに漂着物を品定めしたりもする。そこに何か豊かなもの、大切なものがあるかのように語るのは滑稽、あるいは欺瞞かもしれない。私が続けてきたのはそういうことだろう。
こうした日記のあり方を「ユートピア」と評してくれた人がいる。変わることのない穏やかな、だが豊かな日常。しかし「どこにもない場所」を意味するユートピアという言葉は、発せられた瞬間に真実を射てもいる。ユートピアの床板一枚下は地獄、この船はどこにも行かないまま沈みかけているのだ。
そんな沈みかけた船で日誌を付け続けることに少し疲れた。所用の忙しさにかこつけて休んでみたが、それで別に何かが変わったわけでもない。もうしばらくは放置気味ながら、これからも無用な日記を続けます。