こうの史代『長い道』(双葉社)

老松荘介27歳は、仕事が長続きしない(愛読誌は『すてきな就職』)、女癖が悪い(第1話で浮気)、軽薄で不人情(文字通り「女房を質に」入れようとする)など、絵に描いたようなろくでなし。そんな荘介のところへ突然若い女が現れる。彼女天堂道は、父親の酔った勢いで荘介のもとに嫁がされたと言い、あろうことか婚姻届に署名までしており、それを不満にも思っていない様子だ。荘介は道を煙たがりながらも結婚生活を始めるが、いつでも別れられるという選択肢を担保するように最後の一線を越えようとはしない。やがて道にも思い続けた男がいて、しかも近くに住んでいることが判ってくる。それぞれに思惑を抱えた二人の暮らしは「ほのぼの」の裏に緊張を孕みながら、いつしかかりそめの縁を超えて情愛を育んでしまうのだった。
以上の全体像は、200頁超の堂々たる長編として仕上がった本書を前にして捉えられることであって、分厚いレディースコミック誌に3頁(途中から4頁)ずつ連載されていた状態では判るはずもない。しかも大方の読者は毎回読むわけではなく、たまたま連載分の1話として読むだけだから、少々野暮ったい絵のほのぼの夫婦漫画としか思わないだろう。所詮刺身のツマである。作者があとがきで「人気も反響もほとんどない」と語るのも無理はない。
それでも作者はその3〜4頁に持てる技巧の全てを注ぎ、ある日の生活の断章のなかに流れる情感や葛藤を、二人を取り巻く人々の肖像を、しばしば実験的な手法を交えつつ描き出しながら、超短編としてキレのある結構を維持するという離れ業を53回にわたって続けている(うち1話は連載終了後に短編として発表)。そのうえ連載とは別に、長編としての本作に欠かせない重要なエピソードを、単行本になるかどうか判らない時点で14頁の同人作品として発表しているのだ。この創作にかける執念がまさに「長い道」として目の前にあることに感嘆せずにいられない。
そのようにして出来た『長い道』を読む。7話目にして道の過去の男「竹林どの」が登場したところからが俄然面白い。荘介にとってうすぼんやりした地味な女としか映っていなかった道が、謎を抱え込んだ得体の知れない女として存在感を大きくする。自分はいつでも別れられる、と思いながら、道の真意はどこにあるのか、自分を実は好いているのかと訝しむ。どうとでも取れる道の行動や言動は、読者の予想を裏切る「落ち」であると同時に、道の本当の気持ちをはぐらかして荘介と読者を振り回す。そして自分のろくでもなさは棚に上げ、俺はともかく道には惚れられたい、俺は浮気するが道には嫉妬してほしい、さらには傷付いてほしいとさえ願うとき、自分がすっかり駄目男の荘介に同化していることに気付くのだ。こうの史代恐るべし。
「貴方の心の、現実の華やかな思い出の谷間に、偽者のおかしな恋が小さく居座りますように」と作者の言う「偽者の恋」とは、荘介と道の捻れた関係をさすと同時に、現実の恋愛に対する恋愛漫画の存在そのものでもあるのだろう。偽者と本物の間には、実はそれほど大きな違いはないのかもしれない。違うんだけどさ。