ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』(岩波書店)

無実の罪で21年の懲役刑に服す、元床屋のイシドロ・パロディ。静かな刑務所での修養により深い知性を得たパロディは、一歩も動かずに事件を解決する究極の安楽椅子探偵となり、彼の独房には奇妙な事件を持ち込む奇妙な依頼者が絶えないのであった。
1942年の原書出版時の作者名は「H.ブストク=ドメック」という合作用のペンネームだった。本書が共作第一作なので、この時点では架空の作家である。その架空の作家の存在しない来歴を架空の人物が巻頭で語り、作中で最も奇矯なキャラクターが序文を寄せる一方で、本文には当時の文壇をはじめとする有名人の名前が多数登場する(山田風太郎的に実在の人物が出演するわけではないが)。虚構と現実の閾を混乱させるいかにもボルヘス的な仕掛け、なのかもしれないが、これは推理小説好きの作者による手の込んだ洒落くらいの意図なのだろう。そう言える程度にこの小説は軽い。主人公イシドロ・パロディの推理にしてからが、訪問者の長広舌を委細余さず聴き取り、そうして語られた物語から話者の意図を排除し、抽出した要素を再構成して新しい物語を紡ぎ出すという、いわば再解釈=パロディである。一切の検証作業を経ない彼の推理は「最もありそうな話」に過ぎず、適中するのは小説の都合でしかない。殊更にメタ性を強調するものではないにしても、これはミステリというものの一面ではあるだろう。かの殊能将之が自らの名探偵の名をこのイシドロ・パロディから取って「石動戯作」と名付けた所以が窺える気がした。