今野緒雪『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』(集英社コバルト文庫)

吉祥寺でフラゲドトールで読了。黄薔薇白薔薇紅薔薇それぞれの姉妹の小波瀾を描くオムニバス。各編に共通する描写やモチーフを重ね合わせてみせるなど、作者の持ち味でもある技巧派ぶりが示されている(にしても、そういう趣向は自ら明かさないほうがいいのでは)。大ネタを持ってくる次巻の前段として不満のない面白さ。このレベルの小説を間断なく執筆できる作者を過剰に叩くのは罰が当たるというものだ。一向に続きが書かれる気配のない『十二国記』読者に比べたらどんなに幸福か。まあ大概の読者は両方読んでいそうだけど。
以降はそれほどネタバレというものではないが、一応。
今回波紋を投げかけた「どこから湧いて出たお前」の件について。『マリみて』における志摩子の成長とは、彼女が纏っていた神秘性が剥ぎ取られ「普通の人」になることだと思う。俗世間を離れてシスターを目指すよりは、思いきり「壊れた」ほうが普通の高校生としては余程健全だろう。某氏出現もその一過程として捉えられる。
同じことは黄薔薇紅薔薇にも言えて、令と由乃にとっては二人だけの世界からの脱却、祥子にとっては孤高の人から「ズレたお嬢様」に転落することが「成長」と呼べるものになる。前者は菜々、後者は祐巳という他者によってもたらされるものだが、今回はさらに明確な他者として「男」の存在が殊更に強調されている。黄薔薇には令の見合い相手、白薔薇には某氏、そして紅薔薇には祐巳の強力なライバル(本人曰く「同志」)として立ちはだかる柏木がそれだ。女の園での百合の夢を見続けたい読者を逆撫でするように、こうして「外部」を意識させようとすることは、閉じて純化されたファンタジーの俗化をこそ作者が望んでいることの表れではないか。これは単なる自己破壊願望というものではない。ありふれた日々の連なりに宿るファンタジーこそ人が生きる力となるものであり、そのような力を持つ虚構として「もっと上のステージを目指」そうとする作者の志をむしろ読み取りたい。そう思えばこの『薔薇のミルフィーユ』は、お菓子のような軽い作にとどまらない、シリーズにとって大きな意味を持ちそうだ。