こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社)

無闇に長文なうえ未読の人には野暮の極みなので隠しておく。
なお本作は「平成16年度文化庁メディア芸術祭」でマンガ部門の大賞を受賞した。*1


この連作には複数の場所と時間が描かれる。

「夕凪の街」では原爆投下から10年後の広島。
「桜の国」(一)では昭和62年の東京中野(野方〜新井薬師辺り)。
「桜の国」(二)では平成16年の東京田無と広島。昭和30年代〜40年代の広島。昭和50年代の東京中野。
それらの場所と時間は物理的には連続しているはずなのだが、登場人物の意識の中では断絶している。
あるいは、断絶したものとして捉えようとしている。


「夕凪の街」主人公の平野皆実は「原爆スラム」での貧しい暮らしにも快活さを失わない女性として描かれる。
会社の同僚打越の求愛を、彼女は受け入れることができない。初めて接吻を交わす橋の上で、川に浮かぶ死体の山を幻視する皆実は、人間が尊厳も個別性も奪われたその瞬間から逃れることができない。

わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは あれ以来
本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったことに
自分で時々気付いてしまうことだ

自分が多くの人々の犠牲の上で生き残ったという罪責感が、忘れようとする場所と時間に皆実を暴力的に引き戻す。
その彼女が、過去を忘れることなく受け入れることによって、過去から連続するものとしての現在をも受け入れ、打越と共に生きようとする。「生きとってくれてありがとうな」打越の言葉に自分の存在を赦されて安堵したその直後、彼女は原爆症に倒れ帰らぬ人となる。「てっきりわたしは 死なずにすんだ人かと思ったのに」原爆のもたらす死の連続性が容赦なく彼女の命を奪う。


「桜の国」(一)主人公の石川七実は泥だらけで野球に明け暮れる、男勝りの小学5年生。男子に付けられた渾名はゴエモンだ。
彼女が暮らすアパートの表札には父「石川旭」と弟「凪生」と自分、そして祖母「平野フジミ」の名。ドアの前で鍵をためらうように見つめつつ、ドアを開け部屋に入る。家族は誰もいない。学校の連絡帳には、数日にわたり同じ文面「おばあちゃんは弟と病院です。お父さんは会社です」が並んでいる。母の仏前に手を合わせる七実
友達の利根東子を誘い出かけた病院には、弟の凪生が入院している。「いちばん好きな曲」の譜面を破り取って凪生に渡す東子。七実は病床の弟のために小学校の桜の花びらを風に舞わせて大騒ぎ。それを叱った祖母はやがて亡くなり、弟の通院する病院の近くに転校する一家。「東子ちゃんみたいなおとなしい子になる事」という七実の夢は、転校した学校でもかぶった猫が早々にはがされ、ゴエモンと呼ばれるようになって終わる。
普通に暖かく明朗であるとしか思えないこの部分を「夕凪の街」と地続きであることを知って読むと、母の不在や病室の前の霊安室七実の鼻血などの細部がとてつもない不安を暗示するものとなり、明朗さは隠された死の影を強調するものに変わる。死の連続性はここでも居座っている。


「桜の国」(二)では大人になった七実が、17年ぶりに出会った東子とともに、父の密かな広島行きを尾行する。東子は医学生の凪生が研修する病院で看護師をしているという。「七実ちゃんとそっくり」の凪生と普段から接しているため、17年ぶりでもすぐ判ったという東子に、七実は内心で「会いたくなかった」と思う。「この人の服といい髪といい あの桜並木の町の日だまりの匂いがする」その日だまりの町は、祖母が原爆の記憶を抱えて死に、母が38歳の若さで、娘の眼前で血を吐いて死んだ町だ。忘れたい記憶として桜並木の町はある。
祖母は病床に見舞う孫を、記憶の混濁から原爆で死んだ娘の友達と思い、七実にこう告げる。「なんであんたァ助かったん?」娘は死んだのに。あんたも死ねば良かったのに。被爆者が共有する「『死ねばいい』と誰かに思われたということ」の感触を、七実は意味が判らないままに祖母から引き継いでしまうことになる。
広島で父が手を合わせる墓石には、原爆で失われた4人の家族と、祖母の名が並ぶ。41歳で死んだ夫、12、15、23歳で死んだ娘たちに並ぶ「フジミ 八十才」の文字が痛々しい(不死身、という名前にも運命の悪意があるようだ)。草生い茂る川べりで、東子に借りた上着から偶然、弟凪生から東子への別れの手紙を見つける七実。凪生の原爆症の可能性を恐れた東子の両親からの要請が理由らしい。

ただ僕のぜんそくですが
環境のせいなのか
持って生まれたものなのかは
判りません 
 今はすっかり元気です
 姉は今も昔も元気です
  さようなら

川岸に腰掛け空を見上げる父の姿、そこから少し離れ寝そべる娘の姿を俯瞰で捉えた画面。その見開きの左には同じ構図で、失われた昭和30年代の「原爆スラム」で、同じように川岸で空を見つめている若き日の父・旭の姿が描かれる。過去と現在の断絶を明瞭に視覚化した、本作の優れた場面の一つだ。
ここから物語は、昭和30年代の「原爆スラム」に移る。立ち退き絶対反対、の貼紙が高度成長の先触れを示す。姉の皆実が死に母一人の家に、広島の大学に進学した旭がやってくる。疎開した東京で石川家の養子になり「広島へ帰るのをむこうのことばで嫌がった」旭が、「赤ちゃんの時ピカの毒に当たった」せいでとろいのだと(教師にすら)差別されている少女に、「すぐ原爆のせいとか決めつけるのはおかしいよ」と言い、一度は忘れようとした広島弁で「き…教科書貸してみい 教えちゃろう」と申し出る。こうして旭と、後に七実の母となる少女太田京花が心を通わせていく。旭にとっては広島と関係を結び直す過程でもある。
視点は現代に戻り、平和資料館で受けた衝撃に吐いてしまった東子と二人、休憩のためにラブホテルに入る七実。部屋の鍵を開けた瞬間に、目の前で倒れていた母の姿が蘇る。自分の袖に縋った母の血まみれの手の感触が、東子の縋る手に重ねられる。瀕死の母を忌わしいものと恐れた罪悪感は、皆実が原爆に倒れた多くの人を見捨てて生き延びた罪悪感とかすかに響きあう。「あれが家族や友達だったらと思うだけでもう…」と、深い共感の力を示す東子。弟とラブホテルに入っているらしい東子に複雑な思いの七実
そんな弟たちカップルの恋愛から、青年時代の両親の恋愛期へと遡る視点の移動が上手い。
転勤を機に母と京花を東京に連れていこうとする旭。京花が帰った後の母フジミが言う。

…あんた被爆者と結婚する気ね?
何のために疎開さして養子に出したんね?
石川のご両親にどう言うたらいいんね?
なんでうちは死ねんのかね
うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ………

フジミもまた原爆の記憶を彼方に追いやることで、死ねない生を生きていこうとしていた。
帰りの長距離バスの中で、東子は言う。

ゆうべはある人に会いに行く途中だったの
でも勇気がなくて七実ちゃんについて来てしまったの
…でも ここに来られてよかった 今度は両親と来るわ
来れば父も母もきっと広島を好きになると思うから

眠りに就いた東子に七実が話し掛ける。

……母さんが三十八で死んだのが原爆のせいかどうか 誰も教えてはくれなかったよ
おばあちゃんが八十で死んだ時は 原爆のせいなんて言う人はもういなかったよ
なのに 凪生もわたしも いつ原爆のせいで死んでもおかしくない人間とか
決めつけられたりしてんだろうか
わたしが 東子ちゃんの町で出会ったすべてを 忘れたいものと決めつけていたように

そうして七実は「忘れたいものと決めつけていた」「東子ちゃんの町」新井薬師に東子と降り立ち、「この町ってこんなに狭かったっけ?」と子供時代の記憶を問い直す。凪生と東子との絆を確認した七実は、凪生の別れの手紙を紙吹雪にして風に流し、呟く。
「……母さん 見てるんでしょう 母さん」
紙吹雪は桜吹雪に変わり、30年前の広島へと運ばれる。京花は旭の求婚を受け入れ、フジミと三人で東京中野へと移転する。この町で生まれた七実は思う。

母からいつか 聞いたのかも知れない
けれど こんな風景をわたしは知っていた
生まれる前 そう あの時わたしは ふたりを見ていた
そして確かに このふたりを選んで 生まれてこようと決めたのだ

このナレーションが被せられるのは、桜満開の中野通りの陸橋で、若い両親が微笑みあう見開きだ。
こうして七実の中で、中野と田無の間にあった断絶が快復され、人生は一続きのものになる。
旭にとっても、皆実の50回忌に広島で姉の昔話を聞くということは、昭和30年の広島と現在の広島を、そして昭和20年の広島と現在の東京までを一続きの歴史として捉え直すことに他ならない。そうして快復された世界は、「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」と作者が献辞で述べている「この世界」すなわち「桜の国」なのだ。

七実はその姉ちゃんに似ている気がするよ
お前がしあわせになんなきゃ 姉ちゃんが泣くよ

これは軽口ではなく、旭にとって七実の結婚は、最終的に死の連続性を生の連続性が乗り越えるために必要なことなのだ。利根東子といういかにも関東人らしい名の娘と、夕凪の街から文字を貰った息子の結婚が、二つの土地と時間を結び付けるものであるように。
傷つけられた場所と時間の連続性が、時間をかけて緩やかに恢復していく姿を『夕凪の街 桜の国』は描いている。「忘れてはいけない」「忘れるな」という恫喝ではなく「忘れなくてもいいんだよ」という、傷のある人生=歴史への赦しがここにはある。スローガンを超えて伝わる本作の強さはそこに由来するのだろう。

*1:ちなみにアニメーション部門大賞は『マインド・ゲーム』。なかなかの見識ではないか。
追記 キーワード『マインド・ゲーム』で来る人が多いので。こちらに感想があります。id:marron555:20041002#p2