FIRE AND RAIN

JAMES TAYLOR/SWEET BABY JAMES('70)を聴きながら町山ブログを読んでいたら憂鬱になった。アメリカには福音派キリスト教徒のためのロックというものがあって、イラクでは戦闘車両がラウドなロックを流しながら異教徒に突撃するのだという(その音楽が福音派ロックなのかは判らない)。
ジェームズ・テイラーがJESUSと歌う時、その神は「ひとりのジェームズ」の話相手となり、彼一人を赦すだけの孤独な神だ。孤独な神を抱いたそれぞれの「ひとり」が、ジェームズ・テイラーの歌に孤独を聴き取り、自分だけが「ひとり」ではないと知る。そこにあるのは「みんな」にはなれない「ひとり」同士の、共感と寛容と緩やかな連帯だ。また、ジェームズ・テイラーの音楽には「カントリー/フォーク」というアメリカ音楽の巨大な分母があるが、その自国文化を外側から発見し俯瞰するクールな距離感が、ジャズやクラシックなど多様な要素を取り込む懐の深さに繋がってもいる。
ただし、このような音楽は聴く者を緩やかな連帯に導くことはできても、一方向に糾合する「動員力」は持ち得ないだろう。たとえそれが「平和」を旗印とするようなものであっても。多文化的な広がりを備えたジェームズ・テイラーの音楽が「ウェストコースト・サウンド」というジャンル枠で語られる時、それは「カントリー」を自明のナショナルな文化として所有する「ブッシュのアメリカ」の中で「西海岸」が隔絶する姿に重なって見える。