『BSアニメ夜話』

HIKBさんに送っていただいたビデオをようやく観た。もう感想は各所で出尽くしているので適当に。
銀河鉄道999
国営放送で作画トーク! 金田伊功作画のサンプルがよりによってブライガーか!(笑)楽しい楽しい。友永和秀作画は時間城の崩壊と、アルカディア号がカメラの上を通過するところは意識して観ていたんだけど、ハーロックの正面歩きは全くスルーしていた。格好良い! 村上隆は目利きではあるのだなあと思った。宮崎駿が『999』で友永に注目し『カリ城』に起用したというのはどうだろう。単に『コナン』からの仕事の流れではあるまいか。メーテルのネーミングの由来は「メタとメーターを掛けた」(笑)んじゃなくて、松本零士のモチーフの一つ『青い鳥』の作者メーテルリンクではなかったか。後半の「アニメーションにおける監督の仕事」の部分はもっと聴きたかった。松本零士のイメージボードとりんたろうの細密なコンテを示して比較すれば職分も明確だったのに。
ルパン三世 カリオストロの城
飛浩隆氏による反論id:TOBI:20040915#p3の内容自体には同感だが、唐沢発言は愛ある邪推や難癖の類だろう。宮崎駿&大塚康生の黄金コンビがここで終わってしまった事情は大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店)に詳しい。
あしたのジョー
『ジョー2』は珍品扱いか。私は高校生の頃に観ていたが、放映開始時から「出崎統&杉野昭夫の作品」という意識を持っていたし、鑑賞のポイントは「ハーモニー処理の止め」「透過光やハレーション」「セル三段引き」などの演出スタイルの確認だった。すでにオタク(という言葉はなかったが)の在り方は「差異の消費者」だったのかと苦笑。もっとも出崎演出の場合、特徴がスタイルに集約されるので主題論を語るのが難しいということはある(『悟空の大冒険』以来「旅人への共感」という漠然としたテーマはあるのだが)。それにしても出演者がほとんど誰もアニメ版(特に80年版)をちゃんと観ていないのは問題。その分いつものサブカルトークとして楽しんだが。ちなみに『あしたのジョー』論としては橋本治「最も孤独な長距離ランナー」が個人的スタンダード。
カードキャプターさくら
作品に思い入れがないせいかもしれないが(最初の2クールくらいしか観てないと思う)岡田発言に新世代オタクの論客潰しというような政治的悪意はそれほど感じなかった。ただ「子供のための箱庭に大人が入り込んで遊ぶのはどうよ」的な発言は意図的な挑発だろう。いうまでもなく『さくら』は大きいお友達に向けて作られてもいるのだから。あと、虚構の人物に感情移入する(恋愛感情を抱く)ことを差別視するのは、フィクションの作り手の首を絞めることになるので止めたほうが良いと思います。日常描写の優秀さに触れた際に、各話演出の片渕須直神戸守の仕事に言及してくれれば……無理か。
全体に「テレビ初のアニメ批評討論番組」としては突っ込みどころも多いが、『BSマンガ夜話』同様に「ファミレスのヲタトークの楽しさをテレビで再現」する企画としては成功していたのではないか。とはいえいしかわじゅん夏目房之介が相互に発言を検証し合って確度を高める『マンガ夜話』に対し、『アニメ夜話』ではより出演者の言いっぱなしの感が強い。生放送でないのだから事実の検証を行う余地はあるはずなのに(某マニアの掲示板で問題点が指摘されていた)。その意味でも池田憲章と氷川竜介は常に同席すべきだと思った。