『マリア様がみてる〜春〜』第8話「銀杏の中の桜」

早起きしたので久しぶりにリアルタイムで観た。
ロサ・ギガンティア志摩子の秘密がついに明らかになるこの回、ネットを回ると「何だこの話は」という感想が結構あるのだが。
このエピソード、原作シリーズでは最初に書かれたもので、この時点では「少女漫画のコメディの王道を小説で表現する」という部分に力点があったと思われる。志摩子の秘密にしても「本人にとっては深刻だが、周囲にとってはどうでもいいようなこと」という、本来はコメディの核として用意されたものだろう。その他愛無さを作者も充分理解しているからこそ「マリア祭の宗教裁判」という章題で自ら茶化してみせている。
ところがシリーズ化されて巻が進むにつれ、その秘密が志摩子の神秘性を形作る重要なアイデンティティの一部になってしまい、内面描写のシリアスさと抱える秘密の馬鹿馬鹿しさとの乖離が大きくなってしまう。その整合性を取るために、『チェリーブロッサム』では乃梨子視点の「銀杏の中の桜」と、祐巳視点(山百合会視点)の「BGN(バックグラウンドノイズ)」を並べてみせているのだが、それでも説得力には今一つ欠ける。でもまあそういうものだろう、と原作読者は(というか私は)何となく納得してしまっていたのだが、初めてストーリーに触れる視聴者には「何だかなあ」というふうに感じられるのも無理はない。
ところで私は乃梨子視点で原作を読む際には、脳内で川原泉の絵柄に変換していたのだが(tkpさん保管庫より「ミカみて」参照)、当然ながらそういうお気楽なノリの演出を『アニみてはる』には期待できない。だがそのぶん、気合いの入った作画と釘宮理恵のハマった演技による瞳子の悪役ぶりが圧倒的で、私はドリルよろしくテレビの前で回転しながら悶えたのであった。ドリルかわいいよドリル。