F.O.E featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH『COME★BACK』(87年)

最近とみに 若いやつらがかわいそうなほど情けない なんでかって それは深夜のスーパー セブンイレブンで しかもウィークエンド 雑誌の立ち読み これは貧乏豊かじゃない 今まさに考えなきゃならないことは老後 問題の年金制度の崩壊 あるいはIBMとかNTT CD、DAT、SONYもSIXTYも*1いったい日本はどうなる おい!
COME★BACK

この歌詞がどこまで本気のメッセージなのか判らないが、「ブラック・ピーナッツ」の政治風刺がカリプソという形式の持つ時事性に則ったものであるのと同様に、ヒップホップ/ラップに相応しいものとしてこうした内容が選ばれた、と言ってもそれほどシニカルな解釈ではないだろう。
今となっては妙に予言的に思えるこの作品、雪道での転倒・骨折後、活動のペースを著しく減退させた細野晴臣を、プレジデントBPMこと近田春夫が引っぱり出し、いとうせいこうを伴って作り上げた日本ヒップホップ黎明期の記録である。
ではあるのだが、細野のラップも含めて聴くのが妙に気恥ずかしい。近田といとうの声の質のせいもあるのか(だからこそ低音の魅力とばかりに細野を起用したのだろう)「あんたのお名前なんてーのー」「細野のオミちゃんともうしますー」的な、トニー谷紛いに珍妙な仕上がりになっている。
そう思えるのは、この作品が現在のヒップホップのように、完成された様式に支えられていないからだろう。例えばこの時点では、執拗に脚韻を踏むライムという定型は採用されていない。「それって語呂合わせじゃないの」という突っ込みが無効化する程度には、現在それは強い様式となっている。型というのは馬鹿にしたものではないのだ。
この「ヒップホップの様式」が成立する過程に、その後近田春夫いとうせいこうがどの程度関わっていたのかはよく知らない(関わっていなかったから今の状況があるのだろうとは思うが)。だが、明らかに細野晴臣は、その様式の完成に何ら貢献していないと断言していいだろう。本作のバックトラックの、強力なマシーンビートとオールドタイミィなジャズが交錯する中にスクラッチが挿入されるという趣向はいかにも細野的だが、そのサウンドに乗せられた「日本語のラップ」の奇天烈ぶりは、細野をして「ヒップホップ」を断念させたのではないか。考えてみれば「日本語のロック」も「テクノポップ」も充分奇天烈ではあったのだが、近田春夫は細野にとって松本隆坂本龍一ほどの説得力を持たなかった。後に日本のポップスに大きく地歩を占める「ヒップホップ」というジャンルに、以後細野は関わりを希薄にしていく。
『COME★BACK』は、YMO後期から続く細野のヒップホップ志向のピリオドであり、細野晴臣が「J-POP主流におけるトレンドリーダー」の位置から決定的に降りた作品として記憶されるかもしれない。

*1:このSIXTYレコードも今はないのだろうな。