OVER THE MOON 晩秋のJAPAN TOUR 2006

2006年11月24日 渋谷CC.Lemonホール(旧渋谷公会堂
出演:ムーンライダーズ

ムーンライダーズの最新作『MOON OVER the ROSEBUD』は、常に新しくあろうとする変わらぬ意志と、滲み出るキャリアの重みとが拮抗した久々の会心作だった。今回のライヴはその新作ツアーの最終日であり、30周年を期す一連のイベントの締め括りでもある。
開演、「When This Greatful War is Ended」イントロの重い弦が流れる中、暗いステージの上手にたむろする6人の男たち。その丸い背を下手からのスポットライトが、一条の月明かりのように照らす。新作のジャケットを思わせる演出だ。やがてメンバーが持ち場に着くと、イントロを受けて同曲の演奏が始まり、以下前半では新作からの曲が次々に演奏される。アルバムでも顕著だったアコースティックの渋い色合いが、編集を加えられない各人の演奏の持ち味をもって再現される。特に、鈴木博文の名曲候補「琥珀色の骨」での武川雅寛マンドリン岡田徹のピアノ、鈴木慶一の生ギターが織りなすプロコル・ハルムを思わせる響きには、ライダーズというバンドの懐の深さ、演奏の魅力を改めて感じさせられた。その中心にある鈴木慶一の歌声も、年輪が刻まれたぶん往年の伸びやかさは失われたが、かえって複雑な歌詞の味わいにふさわしい表現力を得たといえるだろう。
ステージでは各メンバーの歌声もフィーチャーされる。かしぶち哲郎が歌う「砂丘」は意外ではなかったが(それでも感涙ものだ)鈴木博文「シナ海」という選曲には驚かされた。英国ロック寄りなライダーズのレパートリーの中で、この曲の米国AOR的に洗練された演奏には(博文ベースも別人のように流暢だ)ムーンライダーズの長いキャリアの変遷が窺える。
ステージ手前の紗幕が落とされたライヴ後半では、一転して白井良明のハードなギターを前面に出したマッシヴなナンバーが続き、「トンピクレンっ子」「工場と微笑」、さらにアンコールでの「Beatitude」「Don't Trust Over 30」など、盛り上がりどころを心得たファンが立ち上がり腕を振る、お馴染みの光景となった。かしぶち哲郎が病を得て以来、サポートドラムとの共演(かしぶち復帰後はツインドラム)がライヴでの常態となって久しいが、一度ドーピングされたアスリートの肉体のように、もはや若手ドラマーのパワフルな演奏抜きではライダーズのライヴは成立しないものになっているのかもしれない。それだけ矢部浩志カーネーション)の演奏は見事でもあったのだが、今回のアルバムに大きく貢献しているのがかしぶち独特のドラミングであることを思うと、少し寂しさを感じなくもない。
会場に白井が飛び出してギターを軋ませ、慶一が長年連れ添った女性ファンたちの手を取って(ジャンボリーのように)ホールを練り歩く。そこには、アーティストとファンがともに年月を重ねたことの帰結がある。物販コーナーに積み上げられた30年ぶんの紙ジャケCDやDVD、関連書籍、Tシャツその他の公式グッズ。それらを購入してアーティストを支える忠実なファン。それがムーンライダーズが多くのものを失いながら獲得した財産だ。自己完結的に維持される閉じた経済系はバイオスフィアに似ている。その境界は透過性で外部に開かれているが、気圧差によって空気は混じり合わない。パッケージメディアの衰退が言われる状況下で、それは結局あらゆるアーティストが目指すモデルだろう。そしてその経済モデルが『MOON OVER the ROSEBUD』の充実をもたらしたのかもしれないのだ。立ち上がり観客と声を合わせながら、頭の片隅でそんなことを思った。
アンコール前のステージは「ダイナマイトとクールガイ」に続けてその続編ともいうべき「Cool Dynamo,Right on」で締めくくられた。かつて愛の果ての浜辺で見失ったはずの虹が、ダイナマイトで全ての思い出を吹き飛ばした火花の中で束の間に甦る。この2曲が語るのは「喪失と成長」という主題だろう。失い続けて「僕ら」は大人になる、そんな曲を歌うバンドを大人になれない「僕ら」が聴き続けている。そのことが与える感慨は複雑だ。ローズバッド・ハイツのバーカウンターで味わう、76年物ヴィンテージ・ワインの思わぬ豊潤な甘さと、その後から舌に絡みつく苦い酸味のように。