東京シャイネス

細野晴臣&東京シャイネス『東京シャイネス』
2005年12月27日 東京・九段会館
出演:細野晴臣(vo,ag)/鈴木惣一朗(mandolin)/浜口茂外也(dr)/高野寛(g,cho)/高田漣(pedal steel)/伊賀航(b)/三上敏視(accordion,eg)
オープニングアクトKAMA AINA


今年9月、豪雨に見舞われた狭山で、細野晴臣が名盤『HOSONO HOUSE』の世界を30数年ぶりに甦らせた「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」での演奏は、早くも伝説になりつつある。その好評を受けてか、同じメンバーによる『HOSONO HOUSE』パフォーマンスの再演がこの「東京シャイネス」と題された公演だ。果たしてあの豪雨の日の感動は甦っただろうか。


オープニングに登場したKAMA AINAこと青柳拓次の演奏は素晴らしかった。1本のバンジョーでミニマルなリフを繰り出しつつベースラインをグルーヴさせ、歌詞のない歌を唸り、金属製の胴を叩き、足踏みでベースドラムを響かせる。さらに弾いたフレーズを即座にサンプリングしてループさせ、その上にまた音を重ねていく。こうしてたった一人で奏でられるKAMA AINAの音楽は、かつて観た高田漣のソロパフォーマンスにも通じる、奇妙だが豊かな味わいを備えていた。


そして、主役である細野晴臣の歌と演奏だが、予想はしていたものの狭山での奇跡に及ぶものではなかった。
ハイドパークでの演奏は、アメリカと日本の狭間にあった70年代の狭山で起こっていたことの検証であり、現実の70年代ロックと憧れの70年代ロックとの闘争と和解であり、西岡恭蔵高田渡や福澤諸への、そしてカトリーナに蹂躙された音楽の都への鎮魂の祈りであり、それら全てが「細野晴臣が歌う」ということに集約されていた。
今回の公演において細野が歌うことに、そこまでの必然性や動機があったとはいえない。狭山フェスに比べ入念なリハーサルを経たと思しきバンドの、繊細だが想定内の演奏の中で、やや疲れ気味の声で歌う細野は明らかに窮屈そうだった。緊張のためか何度も汗を拭い「風をあつめて」では歌を大きく間違えてもいた。「リハーサルはしないほうがいい」「練習しない音楽が楽しい」といったMCに滲む細野のいらだちは、今回のバンドの実質的なリーダーであろう鈴木惣一朗に向けられていたのではないか。どうも鈴木惣一朗プロデュースによる「フォーキーな細野」を演じさせられているような印象が終始付きまとうのだ。
そんなライヴのさなか、突然思い立ったように細野が(曲名は失念したが)*160年代のブルースを演奏することを提案し、その場で各メンバーにリズムパターンやフレーズ、ニュアンスを口移しで指示し、セッションを繰り広げる場面があった(鈴木に「この流れ、どう思う?」などと問いかけたりもした)。音楽の主導権を鈴木から細野が奪回し「フォーキーな細野」に代り「ファンキーな細野」が立ち現れたこの瞬間が、今回の公演で最もスリリングで面白い場面だったといえる。思えば『HOSONO HOUSE』もこのようなセッションから生まれてきたのだろう。その後で演奏された「チャタヌガ・チューチュー」といい、こういう「ファンキーな細野」をもっと聴きたいと思わされた。
アンコールでは「風をあつめて」を歌い直し(TV放映への配慮だろうか)、2度目のアンコールでは演奏こそしなかったもののサービス溢れるメンバー紹介やシリー・ウォークなどを披露してみせた。とはいえ、どこか不完全燃焼感が残るものだったことは否めない。ところでパンフにもニセ広告が載っているわりになかなか出ない細野ソロだが、今回の演奏を聴く限り「平成ホソノハウス」路線にはならないのではないかという気がした。

*1:追記。TOMMY TUCKER"HIGH HEAL SNEAKERS"('64)