ブルースという言語

Lightning Blues Guitar 05
2005.08.21  日比谷野外大音楽堂
出演:Papa Grows Funk(From New Orleans)&小島良喜(key)/仲井戸“CHABO”麗市/山岸潤史/石田長生/Char/土屋公平/ichiro/鮎川誠/西慎嗣/中野重夫/住友俊洋
1996年に内外の名うてのブルースマンたちを集めて開催されたコンサート「Lightning Blues Guitar」。その模様を収めたDVDとCDが、出演者の一人でもあるチャーの江戸家レコードから発売されたのを機に、当時の出演者が再び集結したのが今回のイベントであるらしい。今回HIKB氏よりチケットを頂いて、これが何と初の野音体験となった。HIKBさんありがとうございました。
長いコンサートの幕を開けたのは、ニューオーリンズ在住の山岸潤史が連れてきたPapa Grows Funk。セカンドラインを前面に出すのではなく(ミーターズのリフが引用された曲もあったが)粘りのあるビートの上に洗練されたグルーヴを練り上げ、山岸の切れのあるギターもすっかり溶け込んで彼の地の人となっていた。この後4時間にわたり入れ代わり立ち代わり登場するギタリストたちの全てのバッキングを、このPapa Grows Funkが務めることになる。その身体的、音楽的体力は相当なものだ。
続いて前回も登場した(このメンバーでは若手の)ichiro、元スペクトラムの(という形容もどうか)西慎嗣、スライドを唸らせる住友俊洋、山岸とは同僚だった石田長生がそれぞれに渋い演奏を聴かせたが、ここまではビール片手におやじが聴く音楽としてのブルース、という先入観を裏切るものではなかった。
そんなこちらのイメージが揺さぶられるのは、中野重夫によるジミヘン大会に突入してからだ。その音色やフレージングはもちろん、衣装や身振りや歯弾きに至るまで(さすがに左利きではないものの)ジミヘンになりきった中野のプレイは、70年代の野音さながらに(?)会場を盛り上げたのだった。
そして鮎川誠が登場すると、その朴訥な博多弁とスタイリッシュなルックス、ソリッドで突進力のあるギターが、ステージを黒いロックで塗り替える。さらにチャー、蘭丸こと土屋公平、シーナが加わり、「Satisfaction」で年齢層の高い客席も総立ちになったところで前半のステージが終了。「ブルース」の思わぬ幅広さ包容力に、ほとんど予備知識なしで臨んだ私の心身もようやくほぐれた。
後半、山岸と石田がかつて組んだバンド、ソーバッドレビューの「最後の本音」を演奏。東京のティンパンアレー一派とはまた別の、洗練された黒人音楽がここにある。このコンサートは石田とチャーのBAHO、仲井戸麗市と蘭丸の麗蘭と再会の場でもあるようで、チャボはチャーとの出会いを30年前のエレックレコードに遡って語った。人に歴史あり。
その仲井戸麗市チャボのステージは、この日のハイライトだった。おそらくギタープレイでは他の出演者ほど流暢ではないにもかかわらず、その細い身体から絞り出すようなギターと歌は、圧倒的な存在感で迫ってくる。鮎川誠にも感じたが、55歳のこの人のロッカーとしての現役感はどうだ。伝説のブルースマン、ソウルマンたちの名前を歌い込んだ「今夜R&Bを…」の衒いのない憧れや敬意に、音楽体験を共有しない私の胸も熱くなる。ブルースとはたぶん音楽のジャンルの名ではない。単純なコード、跳ねるリズム、定番の展開といった決めごとは、ジャンルも人種もキャリアも異なるミュージシャンを結び付けセッションを成立させる、いわば共通のプロトコルなのだ。
そのプロトコルは時空はおろか彼岸を超えて交信を可能にするようで、石田長生とチャーが大村憲司に捧げた「Knockin' On Heaven's Door」にしばし肅然。9年前のLightning Blues Guitarで同じステージに立ち、今はもういない大村憲司への、これはさりげないトリビュートライヴでもあった。
そしてトリを務めるのはチャー。特別な思い入れはないのだが、一つのスタイルを極め尽くしたその佇まいは、やはり日本を代表するギタリストと認めずにはいられない。アンコールで全員が参加した「The Weight 〜Hallelujah I Love Her So」「Going Down」は、楽曲の普遍性もさることながら、そこに流れるブルースという言語の重みと、その言葉が紡ぐミュージシャンの連帯を感じさせ、長丁場の幕切れにふさわしいものだった。日比谷に響き渡る轟音が鳴り止むと、その余韻はひぐらしの声に紛れて夜風に流れていった。