この世に住む家とてなく

urban song collection 2005 omnibus live ウタウタ、ウ volume.3
うたううたうたい 高田渡に捧ぐ 〜吉祥寺徘徊の日々を徘徊する〜
2005年5月9日 吉祥寺MANDA-LA2
出演:中川五郎vo,g/いとうたかおvo.g/渡辺勝vo,p、下村よう子vo
with 関島岳郎tuba,recorder,tp,etc、中尾勘二ds、船戸博史b、向島ゆり子vl
guest 三枝彩子(オルティンドー)、嶋田和子(馬頭琴
このライヴ、私は事前に出演者に関する情報しかなく、専ら一癖ある面々の歌と演奏に対する興味で足を運んだ。だから、冒頭トランペットとサックスとトロンボーンを加えてAEOC(アート・アンサンブル・オブ・チンドン)といったモードで演奏されたドヴォルザーク「家路」が、渡さんの好きな曲だったと渡辺勝によって語られてはじめて、この日の基調が先だって亡くなった高田渡の追悼であるということに気付かされたのだ。
ゲストのホーンズが去り、渡辺勝が歌い始める。彼が唯一無二の個性を持った歌手であるのは言うまでもないが、この日は歌を数曲に止めてバンマス的な役割を担い、時に繊細時に大胆なピアノ演奏により、全てのサウンドを受け持つバンドのペースを作っていた。とはいえ、もう何年も歌い続けてきた「僕の幸せ」は、高田渡とともに過ごした日々への想いを載せて、観客の胸に染み込んだ。そこに京都からやってきた下村よう子が加わる。同じ関西の渕上純子や中納良恵を思わせる、ジャジーな空気を含んだ芝居気のあるハスキーな歌声は、ヴァイオリンと弓弾きの多いウッドベース、ブラシを使うドラムの緩やかな響きとともに会場に心地良く拡がった。さらに三枝彩子(オルティンドー)、嶋田和子(馬頭琴)がステージに上がり「生活の柄」を披露した後、バンドが下がり単独の演奏が始まる。オルティンドーはモンゴルの民謡で、いわゆる「のどうた」ではなく地声でコブシを転がしながら朗々と流れるその歌は、バルカン半島の民謡や日本の追分に近い。旋律に起伏を作らず通奏音的に奏でられる馬頭琴の響きとの相性も当然ながら良く、この日の「うた」の世界を豊かに広げてみせた。
ここまでで最初のセットが終わり、次に登場したのはベテランのフォークシンガーであるいとうたかおだった。私はこの時まで彼の歌を聞いたことがなかった。だから、本当にびっくりした。静かに流れ出すエレアコの澄み切った美しい響きは、カントリー・バラッドとでも言いたい雰囲気で、ギタリストとしての非凡な腕前を示していた。がそれ以上に、何のハッタリもなくフラットに吐き出される歌声とそこに載せられたごく個人的な心象が、ビートやグルーヴよりもテクスチャーを重視したフリーフォームな演奏と抜群な調和を見せていたことに心奪われる。関島岳郎の奏でる小さなキーボード(カシオトーンだろうか)から流れ出るミニマルな電子音が、せめぎあう音の波を縫って、いとうたかおの歌と語り合う。音響派的な、とか「うたもの」的なという言い方は今更かもしれないが、その歌と音の織り成す風景の同時代性は、オフノートというレーベルの持つそれと通じるものなのだろう。ジェームス・テイラージョニ・ミッチェルが最もプログレッシヴだった時代の音楽と同等かそれ以上の感銘を、私はこの日のいとうの歌と演奏から受け取ったと言っても、決して大袈裟じゃない。これみよがしなシャウトやステージアクションもせず、淡々と歌いギターを爪弾くいとうたかおの穏やかな顔からは、喉から迸る「ほんとうのこと」と同時に、滝のような汗がギターとステージの床板に滴り落ちていた。
この日の最後を飾るのは、これも大ベテランであり高田渡の長年にわたる友人であった中川五郎だ。髪を金髪に染め上げた五郎さんの姿は下北沢で度々見かけたけれど、そのステージに触れるのはこれが初めて。その傍らには、告知にはなかったシバがブルースハープを銜えて佇む。自らのテーマでもあり、親友の死に際し改めて胸に去来しただろう「生と隣り合わせの死」あるいは「死の反照としての生」の実感を、力強いストロークとストレートなロックビートに載せて(中尾勘二がここでようやくブラシではなくスティックを握った)、昔から変わらぬギミックのない伸びやかな歌声で歌う。その姿は決してノスタルジーに堕さない、都市生活者の音楽としてのフォークの現在を感じさせるに充分だ。ルー・リードの日本語カヴァーで強力にロックした後で、渡さんの「系図」を歌った五郎さんは、抱きかかえたギターとワルツを踊るようにステージの上でくるくる回っていた。
アンコールを受けて、渡辺勝・いとうたかお中川五郎・シバに加え、飛び入りなのだろうか中川イサトがギターで参加するという豪華メンバーで、渡さんの「この世に住む家とてなく」が歌われた。「もうこの世にゃ住み家がありゃしない 」と歌う各人の顔には、笑顔こそあれ涙は見られない。涙が乾くまでずいぶん涙が流されたに違いないが、友を送り出すというよりも共にステージに立っているような朗らかな歌声には、もともとこの世とあの世の間に漂う高田渡の歌に宿った魂が、これからも旧友たちや新しい仲間の中に、また聴衆の中に生き続けるだろうことを確信させる明るさが満ちていた。