『仮面ライダー響鬼』十之巻「並び立つ鬼」

前回の抑えに抑えた不全感の反動のように、この後編では大きなカタルシスが訪れる。
まずはダブルライダーVSガメラオトロシ戦が実に楽しい(笑)。等身大の鬼たちが知恵と勇気と鍛えた身体を武器に、協力して巨大怪獣に挑む姿は、和風味とユーモア、味のあるB級臭とが相俟って『仮面の忍者赤影』を思い起こさせる(古!)。童子と姫相手に苦戦するイブキさんの救援に駆け付けるや、生身のキック一発で敵を倒すヒビキさんは鬼のように格好良い。鬼だけど。無免許バイクの2人乗りでギャグをかます余裕といいヒビキさん絶好調。
一方、理不尽な悪意に見舞われながら、それを自分で振り払うことも出来ず、無力感に凹む明日夢は絶不調。その悪意のスケールも、万引き少年の逆恨みだったり、草サッカー試合での乱闘だったりと、鬼たちが立ち向かう悪と比べてみみっちいことこの上ない。その矮小さを自分のものとして引き受けて涙する明日夢の嘆きがリアルだ。だが、その「リアル」を描くことで『響鬼』は満足しない。明日夢を不良から助けた立花のおやっさんの「誰の心にも悪意はある」という台詞には「だが、悪意だけじゃない」という語が続くはずだ(むろん万引き少年の心にも)。試合が終わり、さわやかに和解した選手たちのユニフォーム交換を眺める明日夢。そこにデートをすっぽかされたもっちーが現れる。明日夢が来なかった映画の上映中に自分も寝てしまったので、改めて2人で観に行こうと誘うもっちー。それをファンタジーだと否定するのは歪なリアリズムだ。明日夢を思うもっちーの優しい嘘と同様に、特撮ヒーロー番組もまた「優しい嘘」であっていい。悪意の存在を認めながらも、善意によって少年を導こうとする『響鬼』のまっとうなジュヴナイル性におっちゃんは心安らぐ。渡る世間は鬼ばかりでもない。鬼だけど。
ところで『響鬼』公式BBSでは「ガメラ」はNGワードになっているのだろうか。