『仮面ライダー響鬼』六之巻 「叩く魂」

毒泡を吐く巨大蟹の前に苦杯を喫したヒビキさんの、今回はリターンマッチ。なのだが、クライマックスの響鬼VS巨大蟹の戦闘におけるCG合成の評判がよろしくない。私は全然気にならなかった、どころかかなり面白かった。『響鬼』では合成素材間の整合性よりも、「絵」で何を語るかに注力しているように思える。その「絵」にしても、異質な素材のせめぎ合いが活力を生み出してはいなかったか。接近戦でしか敵を倒せない響鬼が、巨大な鋏に跳ね飛ばされつつも怖じず怯まず前進し、前回の経験を踏まえて(!)背中を避け、腹側に潜り込み太鼓を貼付けひっくり返す。負傷で力の弱った左腕からバチを奪われつつも片腕で連打、見事粉砕するという戦いぶりが段取りをしっかりと踏まえて描かれる。その賢さと勇気を兼ね備えた響鬼の戦いそのものが、実力不足に悩む明日夢少年を「鍛え足りなきゃ、鍛えるだけだ」と励まし「それぞれの場所で精一杯頑張る」という少年の決意を導く、主題を語るものになりえていたのが見事だ。
ところでヒビキさんといい、初登場のイブキさんといい、心に翳りのない好青年に描かれているのが印象的だ。これは今までのライダーが、強制的あるいは偶発的に力を与えられ、唐突に人間性の一部を奪われた哀しみや困惑を背負っていたのに対し、「鬼」は自らの意志に基づく「修行」によって徐々に超人的な力を獲得したという、成り立ちの違いによるものだろう。「修行」とは同時に通過儀礼であり、「鬼」たちは完成された人格を持った大人なのだ。このことが、どこか厨房臭いこれまでの平成ライダーとは一線を画す『響鬼』の魅力の中心にある。