オトナなんてだいっきらい!!

CCCDしかかからないというDJイベント「やるっきゃ☆ナイト〜撤退してもいい頃〜」を見に下北沢へ。井の頭通りを自転車で走ること40分。武蔵野から多摩湖までの距離を制覇した私にはもはや楽勝である。
CCCDの断末魔(あるいはCDJの断末魔)の瞬間を共有せんと集まった音楽好きでバーカウンターは埋まり、立ち飲み状態どころか店の外にも人の輪が出来る盛況振りだった。
今回のイベントで流れる音楽が「CCCDであるために聴く機会を失った音楽」であれ、「CCCDであってもなくても売れなくて当然と思われる音楽」であれ、改めて現在の音楽産業の理不尽さに怒りを掻き立てられるのではないかと思っていた。ところが、怒りやアイロニーはほとんど感じられず(エイベックスとソニーがすでにCCCDからの撤退を決めていたことも大きいだろう)、ただ和やかな社交空間と、場に相応しい快適なBGMがそこにはあった。これらの流行歌が人生を左右したり後々まで語り継がれたりするとは思わないが、意識されることのない匿名性(普遍性とまでは言わない)というのも、ポップミュージックの重要な特性ではあるだろう。この時期、不幸にしてCCCDによって表象された「J-POP」なるものは、それほど貧困なものでもないのではないか。というのが、意外にもこの「CCCDだらけのDJ大会」の場にあって感じたことだ。
そういえば「どんなジャンクなものでもノスタルジーは生じるのかな」(id:TRiCKFiSH:20040924#p3)という問いかけがなされていたが、小室哲哉の名前を皆が忘れても、「BOY MEETS GIRL」は10年後にも時々は再生されたり歌われたりするに違いない。それが喚起する思い出が貧しいものであったとしても、それは歌の責任というわけではないだろう。オトナが子供から小遣いを巻き上げるための商品ですら、人生をそれなりに彩ることはできる。だから、願わくば一度世に放たれた歌は、流れるがまま自由にしてもらいたいものだ。
私は途中で引き上げたのだが、CDJのクラッシュが華やかにフィナーレを飾ったのだろうか。