ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2005 第2日

2005年9月4日 狭山市稲荷山公園 開演:12:00

前日に雨の予報が出ていたが、到着時には空はまだ青く、適度な雲が陽射しを遮り快適でさえあった。このまま持ちこたえるかとも思ったのだが……。


前座は初日と同じく地元バンド。ブルージーでいなたいハード・ロックは悪くなかったが、MCの「今日はたっぷり、2リットルは水分採ってください。2リットルは酒を飲んでください」「今日は無礼講ですんで」てのはどうだろう。初日で無礼講の酔っ払いが起こした問題を知らなかったのだろうか。「未来のことは未来にまかせなさい云々」という歌詞も「未来にツケを回すな」が合い言葉の昨今ではずいぶん能天気だ。この安直さもまた70年代ロックの一側面か。次のバンドの演奏中に売店でタイラーメン食う。旨し。


そして幕開きは若手代表SAKEROCK。彼らも高野寛同様アウェイであるどころか「日本語のロック」とも縁もゆかりもない。だが、そんなプレッシャーなどまったくないかのように、リハーサルでとんでもなくハイテクニックかつ軽快な演奏をぶちかまし、しかもリハーサルということであっさり打ち切り。この余裕。やがて本番の演奏が始まっても勢い変わらず、ジャズやらカントリーやらエキゾやら様々な材料を溶かし込んだ音楽は、細野晴臣が『泰安洋行』で示したチャンキー・ミュージックの直系と呼べるものだ。しかも全員相当の腕前で、複雑な変拍子をこなしながらも脱力感をもたらすユーモアを失わない。中心人物ハマケンのキモ可愛いキャラクターの力もあってか、若い客は前方で踊り、年寄りも子供も楽しんだ模様。前日のトミ藤山さんにぶっとんだように、伝説のみを求めて来た客がSAKEROCKに目を丸くする。こういう痛快な出会いがないとフェスは楽しくない。


SAKEROCKが大いに会場を湧かせた後に登場したのが岩渕まこと。狭山に長く住み続け、ティンパンやハックルバック、ライダーズの面々との共演もあるベテランだ。近年は小坂忠とともにゴスペルを歌っていると聞いていたが、この日は70年代のアルバムからの選曲が中心で、ギターの洪栄龍、カホンの尾口武とともにアコースティックで暖かみのある歌と演奏を聴かせた。生活感の息づくグッド・タイム・ミュージックは少し地味ではあったものの、世代を越えて和やかな空気で包む説得力があった。


続いてはアーリー・タイムス・ストリングス・バンド。今回は宮武希、中川五郎ハンバート・ハンバートを迎えての「西岡恭蔵トリビュート」。このセットだけ狭山というより下北沢みたいな趣だ。アーリーは以前に観たことがあるけれど、広い空の下、緑に囲まれて聴くゴッタ煮ジャグバンドの歌と演奏はまた格別。「TWIST&SHOUT」と「FLY ME TO THE MOON」を強引に繋げた「灼熱地獄」が楽しい。しかし村上律や松田幸一のキャラクターはいかにも野外フェス向けと思えるのだが、渡辺勝だけは変わらぬ情念を絞り出すような歌声で、有無を言わせず観客を納得させたのはさすがとしか。西岡恭蔵トリビュート、宮武希の伸びやかで雰囲気のある歌声が気持ち良い。中川五郎以前観たライヴでのアグレッシヴな姿に感銘を受けたのだけれど、今回は旧友との思い出を大切に暖めるように訥々と歌っていた。ハンバート・ハンバートは一度聴いてみたかった若手の男女アコースティック・デュオ。「春一番」という重要な曲に、カントリーの土の匂いとジャズの暗がりをたっぷりと含ませて聴かせた。これもまたこのフェスで「発見」されてほしい人たちだ。最後にかのスタンダード「プカプカ」を一節ずつ歌う。歌い手ごとに解釈がくるくると移り変わり、何度となく聴いた楽曲に新鮮な味わいを与えていた。


そして、活動を再開したラストショウのステージ。アーリーとメンバーが被るものの音楽性は全く異なり、島村英二のドラムと河井徹三のベース、徳武"Dr.K"弘文ギター、村上律ギターという達人揃いのメンバーが一体となって奏でるテックス・メックス・サウンドの痛快さには、時代を越えて普遍的な魅力がある。そこに松田幸一のハーモニカと、飄々とした歌が乗ると、幻のアメリカが一気に海を越えて日本の私たちの生活のなかに入り込んでくるのだ。残念ながらこの楽しい歌と演奏の最中に、会場には雨が降り出してしまうのだが……。来年、晴れた空の下でまた聴きたい。


事前の予想通りとはいえ、その雨量は予想以上で、地面は泥濘と化し、鋪装された通路は急流となった。雨の勢いが激しさを増すなか、ステージに上がったのは鈴木慶一鈴木博文武川雅寛の「3ぱい」ならぬ「ハーフ・ムーンライダーズ」。はちみつぱいの再演は拒んだものの、現在のライダーズの楽曲に並んで「土手の向こうに」「大寒町」といった懐かしい曲も演奏、フェスの空気に応えてもみせる。ただし、ドラムレスでフルートの加わった編成からは音響派的な現代性が滲み出ており、「アメリカよ、ニューオリンズも救えないのか」のMCとともに現在と対峙し続ける姿勢を露にしていた。ちなみにフルートの国吉静冶はパナム/テントの両レーベルのディレクターでもあった。演奏の間にも雨は容赦なく降り続き、観客の体に打ち付ける。そんな観客を鼓舞するような慶一の「NO RAIN!」の叫び、唱和する観客。すると本当に雨が小振りになってきた。盛り上がる会場。そこで演奏される「髭とルージュとバルコニー」。『火の玉ボーイ』でも共演したラストショウの面々が加わっての演奏は、編曲も原典に忠実で正しく同窓会ではあった。


慶一様の神通力で「もしや」と思われた雨も、結局は晴れることなく滝のように地上に降り注ぐ。そこに地元在住の洪栄龍がバンドを従え登場。日本のロックの黎明期から活躍する洪栄龍は、まさにリアル70年代モードのブルースロックを唸らせたが、その轟音も雨に相殺されてしまう。私は冷えた体を抱えトイレを求めて彷徨っていた。


豪雨の中、またしても酔ったおやじの「何でこんな目に会うんだ、腹立ってしょうがねえよ」という叫びが聞こえる。そろそろ観客が疲れはじめる最悪のタイミングで、トムス・キャビンが招聘したエリック・アンダーソンがラストショウとともにステージに上がる。激しい雨音を縫って柔らかい声を必至に届けようとするエリック。その静かな力強さを湛えた歌に、ラストショウも完璧なバッキングで応える。すると、このまま最後まで止むことはないかと思われた雨が奇跡のように晴れた。最悪の状況下で最高の誠意を観客に示してくれた、エリック・アンダーソンとラストショウの素晴らしい歌と演奏が、この奇跡を呼んだのだ。ステージ終了後、思わずCDを買いに走ったくらい。運悪くサインは貰えなかったけれど。


雨が上がり、佐野元春とザ・ホーボー・キング・バンドが登場。フェスへの参加を自ら申し出たという佐野は、今回のために用意していたセットリストを破棄、雨で冷えた観客の体を暖めるダンスナンバー中心のセットに切り替えた。こういうことができるのも、佐野とバンドが積み重ねた長い時間によるものなのだろう。私は熱心な元春ファンではないので曲もよく知らないのだが、「コミュニケーション・ブレイクダウン」のパブロック版といったバージョンは、なかなかレアなものではないだろうか。佐野元春のベテランならではのホスピタリティに感謝。


そしてついに!細野晴臣のステージが始まる。時間を封じ込めた玉手箱を開けたように、白い髭を貯えて姿を表した細野さん。手に持つのはアコースティック・ギターだ。そのギターから流れ出した「ろっかばいまいべいびい」に鳥肌が立ち涙腺が緩む。結局『HOSONO HOUSE』ばかりを期待してしまうことにファンの一人として後ろめたさを感じてもいたが、歌を聴いた瞬間にどうでもよくなった。細野ミュージックの静謐な祈りは、ギターの弦にベースの振動に、そしてエレクトロニクスのノイズの中に、姿は変わっても失われることなく流れ続けているものなのだ。
「僕は一寸」「PomPom蒸気」「夏なんです」(「ちょっと練習させて」とイントロが流れ出した瞬間に不意打ちの感動が)「終りの季節」「恋は桃色」と、名曲が惜しみなく次々に奏でられていく。鈴木惣一朗を中心とするメンバーは、演奏テクニックよりも精神的な紐帯を重視して集められたのだろう。リハーサル不足という演奏にはところどころ不安定なところも見られたが、それすらも内面化された「幻のアメリカ」を空間に描いたような、心地よい「夢の揺らぎ」に変換されてしまう。新生HISの「幸せハッピー」での力強い歌声にも心踊る。コーラスに参加した高野寛は、初日の献身への報いになっただろうか。
そして小坂忠がついに登場。細野と小坂の出会いから、今日に至るロックの旅の全てが始まった。その記念碑ともいうべき「ありがとう」は、レコードと同様やはり細野の声が目立つのも微笑ましい。まさかこんな瞬間に立ち会える日が来ようとは。
HOSONO HOUSE』を21世紀に蘇らせるこのパフォーマンスは(滅んだことなどなかったが)目の前にしても俄に信じ難い奇跡だ。そこには70年代と21世紀を、虚構のアメリカと現実のアメリカ/日本を、かつての若者と生まれていなかった若者を、そして死者と生者とを結び付ける虹の橋がある。そう、「ろっかばいまいべいびい」は西岡恭蔵に、「僕は一寸」は高田渡に、そして「PomPom蒸気」はニューオリンズに捧げられていたのだ。加えて、ペダル・スティールで祈りを奏でた高田渡の実子高田漣も、世代と時代の(さらには彼岸と地上との)結び目として、細野とともにフェスの意味を体現していた。
そして最後の祈りは、福澤諸に捧げられたスケッチショウの「Stella」。星の輝きを凝らせたような透徹した美しさは、豪雨の後に訪れた晴れ間の奇跡とも相俟って、夢のような昂揚感で夏の終わりの祭りに幕を降ろしたのだった。


アメリカとの対峙によって生まれた日本のロックの歩みを再検証するような今回のフェス、そこには「幻のアメリカ」への架空のノスタルジーしかないのではないか。そんな危惧もないではなかったけれど、ミュージシャンたちの素晴らしい演奏に、最悪の事態に奔走したスタッフの献身に、雨音をかき分けて音楽に耳を傾け続けた聴衆に、何より細野さんのすべてを超える歌声に、心の鎧はすっかり脱がされてしまった。幻のアメリカも現実のニューオリンズも、夢の70年代も果てしない未来もすべては地続きで、そこを移動するパスポートが音楽なのだ。
願わくば来年からは「狭山」という枠を少し広げて、若いミュージシャンをもっと呼んでほしい。今回のハンバートやSAKEROCKのように、「狭山」から生まれた日本のロックを受け継ぐ才能が、伝説を求めてきた客に紹介される場になるといい。そうして老いも若きも新しい出会いを楽しめるイベントになれば、この先続ける意味がさらに大きくなるだろう。
参加されたすべての人たち「ありがとう」お疲れ様でした。コンサート終了後は再び豪雨となってしまったけれど、撤収作業に従事されたスタッフの方々が無事だったようで何より。