真・ギャートルズ

昼に起きたらグレンラガン小林治回の評価がフィーバーしてたので、かなりビビりながら観たのだが、基本ギャートルズなアニメでこれはアリじゃね?と思った。
全編が演出・コンテ・作画の小林治の個性で塗り固められていて(脚本にもかなり手を加えたという)、キャラデザインはおろかカット割り・構図・演技・エフェクトに至るまでガイナックス主流のスタイルとは大幅に異なる。考えてみれば今石監督の神である金田伊功スタイルがまさにそういう「シリーズ本体からのイレギュラー」としか言いようのないものなので、小林治に期待されたであろう「TVシリーズにおけるスタジオZ」的な役割は充分に果たしているといえる。本社制作の1〜2話で基調を固め、3話のXEBECグロス回で社外の水準を示し、4話で「TVシリーズ」としての振り幅を見せる、この制作配分は考えられたものだと思うし、ある程度の拒否反応は折り込み済みだろう。70年代アニメリスペクトなスタッフの狙いは、スタイルのバラつきも含めた「消え物としてのTVアニメ」の復権ではないか。DVD修正とかありえないから!
まあ日和るなら、こういう新キャラの顔見せとなる初盤ではなく、ある程度キャラが出揃った中盤以降に回したほうが無難だったとは思う。ていうかローテーションに入ってるのかしら。
それにしても、アクエリオンエウレカのうつのみや作画といい、作家性の強いアニメーターの起用が「あえて異物感を強調する」飛び道具的なものに限られてしまうのは、DVD時代のTVアニメの宿痾かもしれないが、ちょっと寂しい気もする。
(わりとどうでもいい追記)
・あんまりなので擁護に回ったが、普通に今一つな出来だったと思います。主に演出脚本。
・とはいえ、叩かれ過ぎてスタッフのモチベーションが傷つかないか心配だ。無理解な視聴者への恨みから、最終回がメタ視点になっても知らないよ。
・今の若いファンにこそ「アニメゆとり教育」が必要だ。
・クリエイターはユーザの言うことなど聞かないし、聞く必要もない。もっぱら内なる他者=仮想の観客に向けてのみ作るものだ。むしろ現実の客を相手にした瞬間から腐り始める。かの石田衣良サイレント・マジョリティーを考慮したのは、まさしく彼がクリエイター=小説家だったからだと言えよう。
・どうせなら佐々門信芳一人作画回とか入れるといいと思う。